一年を振り返って・・・

2015年が終わろうとしています。

心から有り難うございます。SNSやブログにおいて、私はたくさんのお話をしてきました。飾らず率直に自分の考えや行動を伝えてきました。「山本龍」と「山本龍のやろうとしていること」を伝えたかったのです。何よりもこの前橋が輝く街である事を伝えたかったのです。

 

私が生まれたのは群馬県と長野県の県境の草津温泉です。前橋市総社出身の小学校の恩師が私を前橋の地に取れ戻ったのが理由です。「本気で頑張るなら、前橋に出してやる。」父の言葉です。

山の少年にとって、この前橋には希望が溢れていました

私の中学校1年生の写真を見ると何故か野球部もないのに坊主頭です。私の覚悟の表れです。

クラスメートは皆カッコよくて頭が良く見えました。

 

そして前橋が私を育ててくれました。

だから私はこの町に恩返しをする。

前橋を愛している

前橋は今でも輝いている。

医療の輝き、教育の輝き、産業の輝き、ここに暮らす市民の理性、街なみに落ち着き

歴史の深み、・・・そして広瀬川

 

この町は今でも、県都の輝きを持っている、

この町が希望の街だと皆さんに思い出してもらいたい。誇りを取り戻してもらいたい。

 

時間は掛ります。たくさんの役所の決め事、市や県や国の役人の決め事を説得しながら、私は約束の実現するために石にかじりつく思いで前進してきました。ほんとうに時間がかかります。

 

先日、赤城山の黒檜山の山頂の枝払いを行いました。やっと出来ました

「4年前、赤城山をきれいにする。100名山の黑檜に登っても木々が茂って何も見えない

木を切って関東平野を一望にみえる名所に変える。」といってきました。

環境省、森林局、群馬県、隣の沼田市や桐生市と掛け合い、4年近くが掛け、やっとです。

 

時間は掛っても、志をもって誠実に取り組めば前橋をよくする道がある。

4年前には霧の中だった前橋、

しかし今は「前橋が、県都の誇りを取り戻す道」が今私にははっきり見せる。霧が晴れた。

 

私は皆さんを背に担いでは歩けません。

ともに自らの足でこれからの険しい道の一緒に進んで下さい。

時には挫けそうになる皆さんの手を引き、励まします。しかし歩くのは皆さんの力です。

道のむこうに夢や希望があるようにしましょう。人は夢があれば挫けず歩けます。希望を失たった人はまっすぐに歩けません。希望は人をまっすぐに導く羅針盤です。

「ほんとうに前橋は変わるのか?」と半信半疑だった方が、「一緒にやろう!ともに前橋に誇りを作り上げよう!」と思って下さることを、前橋の未来を信じてくださることを願っています。

 

そのために、今まで歩いてきた4年、私は常に心掛けてきました。

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どうすれば税金の無駄をなくせるか。

税金以外にやり方はないか?を考える。

市民の力を借りられる?

或は

準備に時間をかければ事業予算が減らせるか?

つまり『やりくり』です。

 

清掃工場の新設→延命化を決断したのも「やりくり」への準備ができるからです。

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マニフェストを実現に全身全霊を傾けてきました。しかし行く道に予想外の解決すべき課題が現れ、私たちに行く手を阻むこともありました。

 

例えば

・東北、岩手県から津波によって破壊されたがれきの処分の受け入れ

・発達障害児の課題の解決を、30人学級への対応より優先せざるを得ませんでした。

・大雪によって被災した農家支援に農政部の全精力を割かねばなりませんでした。

・地域の安全や安心の妨げになる空き家の増加や凶悪な殺人事件の発生

・オリンピック・パラリンピック開催地に東京が決定し、ラグビーWカップが熊谷にて開催されることも決定し、選手のキャンプ地としての受け皿も準備が必要になりました。

 

残念ながら幾つかの公約が手がつかぬまま終わりました。

政治は生き物です。時々刻々と情勢は変化し続けます。

大海原の波を乗り越えて進む船です

しかも、この船は大型タンカーのように舵を切っても進路を変更するには時間がかかります。

その先には必ず「希望の地」があります。

 

 

群馬は未だか。前橋が映るには何時か?

と首を長くしながら待ったNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の画面に中で、故郷の先人たちの活躍にワクワクしました。私たちの前橋・群馬は東国文化の時代から誇れる歴史を積み上げてきました。

前橋空襲からも高い志を持って蘇ってきました。

改めて、今を生きる私たちの責任を心に刻みます。

 

「明治維新」 「戦後復興」 に次ぐ「県都再生」は今です。新たな価値観にたつ純粋な精神に結びついた草莽の心がそれを成します。

ともに成し遂げてまいりましょう。

 

一年の最後にもう一度、私が皆さんに伝えたいことは

「前橋は凄い町だ。」「輝く街だ。」

そうです。この町は希望の溢れる町です

前橋を誇り得る町に変える

それは私一人ではできません。みなさんの力が必要です

一人でできる事など無い。世界中に一人で事を成したリーダーなどいません。

そこには志を持つ仲間がいました。前橋の誇りの復活には志を持つ市民の力が必要なのです。草莽崛起です。

 

この道を進もう!あの山を越え、あの谷を渡り、進もう

足に刺さった棘を抜き、道を塞ぐ大岩をどけ、肩を貸して、ともに進む。

それが私は皆さんに申し上げたい、一番大切なメッセージです。

 

それが私の使命であり、役割です。みなさんの使命であり役割です

ともに作ろう、県都前橋

この町の為に、汗を流す市民に力あれ。

この一年に寄せられた声援に感謝します。

有り難うございました。


2016年は穏やかなリーダーシップを目指していこう。

良寛さんのリーダーシップを考えることがあります。

小淵恵三さんの書生として政治を志してから30と余年がたちました。この月日を通じて私は数々の本から学びを得ました。もちろん本は読むのは好きだったですが、特に政治を担うようになってからは、導かれるように読みました。

とりわけP・ドラッカーの組織論は私に政治家としての行政組織への定義を与えました。S・コービーの「七つの習慣」は私の人生の役割の認識を明確にしました。

このほかにも様々な偉人の伝記は私に力強く、不屈に、圧倒的な正義と使命感をもって生きる事を諭しました。また、研究者が記した経済書は経世済民の経済政策の参考になりました。読んでは、メモを起こし、そのメモを見ては行動を起こしていく。人生は学びという「模倣」の連続です。

それらが今の私を形作っています。私の市長として、父として、夫として、・・・私の人生における多様な役割を果たす道を、先人の書物は灯台のように眩しい輝きで照らしています。

最近、積んでおいた良寛さんの言葉を読み直す機会がありました。改めて今読む良寛の残した言葉は、その「力強いリーダーシップ」とは一線を画するものでした。そこのことが大いに私を悩ませました。

それは今までの読書は何かを成すための学びを得る為でした。現状を是正し社会制度の不備を正すために「行動する学び」です。しかし良寛さんの言葉は何も成さない為の言葉でした。現状を肯定し、受け入れ、社会を疑わず、愛するだけの心です。

吉田松陰さんや田中正造さん、そして大塩平八郎さんの伝記をよみました。そこに書かれた言葉は「知行合一」です。学んだら行動せよ!との教えです。そのことば通り、この3人は社会変革のために行動し、吉田松陰は処刑され、田中は行き倒れ、大塩は自決します。行動し自らの人生を閉じます。

【「花燃ゆ」から感じた松陰さんは私の松陰さんのイメージと重なっています。しかし、違った点がありました。私が破滅への覚悟と思っていたものは、再生への過程としての死だったのですが・・・】

そこに見えるのはリーダーシップのリスクです。危険を顧みず火中の栗を拾い、虎穴に入るリスクです。そこリスクを冒しても必ず手に入れるべき理想があるのです。

いったい、良寛さんは「何を手に入れたかったのでしょう。」

むしろ反対に「捨てる事」しか私には伝わりません。彼から伝わった理想の社会とは「皆がほしがらない社会」です。皆が無欲に暮らす社会を描きだします。無欲社会です。他者を導くでもなく、自らの心を整えるだけに徹し、社会への変革の圧力を与える事もしません。

 「世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞわれは勝れる」

と社会から離れて影響を与えようともしません。今、良寛さんが社会へ与えるものは、他人が勝手に良寛さんから感じているのであって、良寛さんが積極的に発信したのではありません。まさに何も成さない事に徹したと感じています。

「形見とて 何残すらむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみぢ葉」 

何もいらないよ。何も持っていないよ。でも世界は美しい。無欲に生きれば変革に伴う痛みを受けず自分の心を安寧に出会えるという事です。どの英雄もできなかった無欲の心を成し遂げた良寛さんの凄さです。これは陽明学の「至誠」にも通じるものがあるようです。

論語にある君子は腹が減っても騒ぎません。

「君子固より窮す、小人窮すれば斯こに濫る。」

を実践した良寛さんはやはり君子であったのでしょう。孔子の言葉と良寛さんの言葉はスゴイと思います。「君子も腹を減らして死にそうですね。」との皮肉に対しても冷静に理想を語る。困ったときに徳を忘れるな。と孔子は言います

雪が降れば托鉢にもいかず、腹を空かせても慌てもしない良寛さんは

「飯乞ふと里にも出でずなりにけり昨日も今日も雪の降れれば」

と一切慌ていません。このことと私は大震災の後の日本人の行動規範を結びつけて感じます。

「この里の桃の盛りに来て見れば流れにうつる花のくれなゐ」

この春、東北にも前橋にも、春は巡りくる。それは自然の節理であって誰かの意思で成すものではありません。めぐる季節に感謝して花々を迎えるばかりです。

仙人のような政治活動ができるものでしょうか?憧れながらも、そうは思いません。前橋市にある暮らしを支えるのは明確な志が必要です。新しい年度の予算は数字の行列ではありません。様々な暮らしを支える為に市民からお預かりしたお金の使い道です。どのような志を持ってこの予算を執行するか。私を含めすべての市職員に課せられた責任です。つまり責任を果たしためには力を籠める必要があります。力を籠めなければ、道は開けない。

※ここまで書いて、小林正観さんと富士見の山荘でお話をした際の会話を思い出しています。「気負いを捨てて、政治をしたらどうか?」との示唆だったと思いだす。私は理解できなかった。正観さんの言葉は「こういう事だったのか!」と、おぼろに感じられるようになった。

「凍土に 眠るる種や 春間近 」 りゅう