「富岡製糸工場と絹産業遺産群」世界遺産登録内定をお祝い申し上げます。

富岡製糸工業と絹遺産群が世界遺産に登録されることが内定しました。心からのお祝を申し上げます。この登録へ向けて、長い間取り組んでこられた、群馬県、富岡市、藤岡市 伊勢崎市、下仁田町、そして関係者にご努力に心から敬意を表します。

さて日本の近代化の元になった蚕糸、製糸ですが、この中心になった群馬になかでも前橋藩と群馬県令楫取素彦の活躍は特記すべきものであり、前橋市としても今後も顕彰すべきと考えています。残念ですが多くが前橋空襲によって灰になってしましましたが、それでも、レンガの倉庫群、蚕糸記念館、塩原蚕種の巨大な建築物は今も現存しております。機械製糸の動力となった広瀬川などの河川の景観や総社山王の防風屋敷生垣“カシグネ”が残る歴史景観はぜひとも残したいものと考えます。

前橋藩および群馬県令楫取氏の製糸との関わりをいくつかの資料から引用抜粋します。

日本初の機械製糸場は松平家前橋藩において藩士速水監曹によって設置されました。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9F%E6%B0%B4%E5%A0%85%E6%9B%B9

1870年(明治3年):10月、速水堅曹は、民部省の要請により富岡に行き、官営富岡製糸場の設置場所を決めるための現地視察に参加。後に初代所長となる尾高惇忠(官営富岡製糸場建設を主張した大蔵小丞渋沢栄一の義兄)、フランス人顧問ポール・ブリューナらと会い新製糸場の利害を論じた。ブリューナ一行は富岡視察後、前橋製糸所を訪れたので、ここで速水が応対した。速水は第三代、第5代の富岡製糸工場の工場長となっています。

楫取素彦 初代群馬県令

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AB%E5%8F%96%E7%B4%A0%E5%BD%A6

の数多い功績の中でも教育と人権主義と並んで産業振興は日本の近代化を作ったと考えられる。日本最初の機械製糸場が前橋藩で開業し、その2 年後に官業の富岡製糸場が作られました。楫取は、県内各地を巡り製糸業の振興に努めた。

外国商人の手を通さず直接輸出できれば利益も多くなると考え、桐生市黒保根の新井領一郎をアメリカへ送りし生糸輸出の道を開き、輸出が増加することとなり、必然的に養蚕業も盛んになりました。その先には明治三農老の一人、船津伝次平の活躍まで繋がる製糸産業の基礎を打ち立てた。

 

ほか参考

http://www.raijin.com/news/a/2012/03/25/news03.htm

http://www.city.maebashi.gunma.jp/sisei/519/014/010/p009581_d/fil/katorimotohiko.pdf