しばらくぶりのデスク

台風が近づいているらしい。
私は今日の夕刻はZZZZZZZZZZっと書類整理と
新しい「龍の前橋夢ハイウェイ」と名付けた公約のロードマップの
再構築にふけっていました。
昨日は珍しく、体力づくりのクラブのメンバーに誘われお酒。
食べ物は野菜中心。キャベツをかじってビールを飲む。
結構、相性が合っていました。
自分のデスクで読む活字は、車の中でコンビニのおにぎりを
片手に読む活字よりは脳味噌に中に沁みこむ感じですね。
万年筆もレターセットも在るべきところに整理されている自分のデスクは
私にとって大好きな空間です。
スタッフもいない夜の事務所に一人いる時間は新鮮です。
早く帰ろう!10時には眠くなるのです。でも明日は日曜日。
早朝の活動も休日。明日は9時出発で宮城です。


ひまわりを福島へ・・・

ひまわりが土壌中の放射線を吸収するとの学術データがあるそうです。
しかし、放射性物質を吸着した後のひまわりの処分など難しい問題も発生する事になります。だから私は放射性物質の除去のためにひまわりを植えるとの考えは捨てて福島への支援をあらわすシンボルとして、福島へヒマワリの植栽へ行こう!と呼びかけています。
私は福島を訪れ、避難する人と話し感じたことは「不安のストレス」の深刻さです。震災復興支援が物資から精神的な支援に広がるステージに変化しつつあると感じます。前橋市でも市民団体がボランティアで苗を育て、福島へ植栽へ出かけ、元気なひまわりをさかせて、福島の人びとを励ましたと企画しています。
震災後、物資輸送や温泉配達で訪問した幾人の政治・自治体関係の方へ声を掛けていますが、まだまだ手が回らない状況を感じます。現在、受け入れの返事は有りません。
問題点は
・受け入れのスタッフが居ない事
・植栽後の管理が心配
・放射能の濃度が高くなったひまわりの処分
との3点が電話で伝えられました
私は現地でもボランティアがいるはずですから
広く声をかければ可能であると考えています。
でも受け入れ先にとっては緊急性の高い提案ではありません。
仕方ないのないことと感じます。しかし福島へ励ましを届けたいと思う多くの人がいることを示すには自らの行動で何かをすることだとも確信しています。
そこでこの様な植栽の受け皿を見つけて頂ける可能性があるならぜひ情報を頂きたいとネット上からお願いを致します。
現在育てているひまわりの苗の育成状況から6月下旬に実施出来ればと考えております。
群馬からの思いが届けられるように、お力を貸して下さいますようお願いいたします。


宮城で奮闘中

ご無沙汰しております。山本龍です。先週から宮城を回っております。今日の朝はあいにくの雨で街頭演説は叶わなかったけれど。午後は天候が回復するからガンバルぞ!


私の日記に意見メールを頂きました。

>◆5月21日葉山芸術祭企画 芸術祭を作ろう!会議 で
>前橋美術館構想に対する私の考えを意見発表できるかとの問い合わせを頂
>きました。そしてメイルには「美術館に代る文化や芸術による市民力の向
>上にとっては如何な)る文化芸術構想が好ましいかも話して下さい。」。と
>あります。
との私の日記に対して、以下の意見を直接メイルを頂きました。
私の意見を申し上げる前にまずは引用して、議論の出発にしたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(前略〉
近代(戦後)日本は日本文化を切り捨てることにより海外文明を取り入れ各地方に育った文化は廃り特に群馬県は私も全国を回ってみてもこれほど文化の低い県は少ない県になってしまっています。一度切り捨てた文化は元には戻りません。
そこで前橋美術館構想を一度お聞きしたいと思っていますが、
その前に群馬県立近代美術館がどれだけ県民に文化教育を行ってきたか
悲しいかなまったく結果が現れてきていません。
(立地条件の悪さもあるでしょう)
ヨーロッパの美術館と日本の美術館は雲泥の差があります。
日本の美術館からでは芸術家(美術)は育ってくる環境にはありません。
どうも日本は海外の外見だけをまねをして中身(哲学をまったく学んでおりません。
箱物と美術品を納めるのが美術館でない事を日本人は理解していないようです。
私も美大を出て40年、芸術(美術)活動を
前橋に根付かせるべく頑張って着ましたが力及びませんでした。
芸術とは表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。美術、文芸、音楽、建築、演劇などを指すと辞典にはあります。語源の起源は「よい技術、美しい技術」という人が生み出す物で決して現在のような機械的文明ではありません。教育に寄る長い時間をかけて人が人を教育する中に芸術(文化)の種が生まれ育って行くものです。
今回の大災害を見ていても政府は何の指針も今もって示す事が出来ません。
まさしくこの国は文化が育っていない事を示します。
話を始めに戻しますが経済が落ち込み村おこし町おこしで芸術を取り入れ芸術祭やビエンナーレを開催する事は決して悪いとは思いませんが私から見たらそれらのイベントで人々はその期間だけ人は集まるかもしれませんが終わった後に何が残るのでしょうか。
私達は日々生きています。
芸術は人間が生み出すものです。
日々努力し考え産む苦しみの中から人の心を打つ作品が生まれてきます。
そして又見る側・受け取る側も語学と同様に学んでいなければなりませんね。
最後にルーブル(そのほかの美術館も含め)では)美術館では小学生から美術館の中で本物の作品の前で授業が行われています。
・・・・・・・・・・・・・後略・・・・・・・・・・・・・・・・・
私が感じる範囲ではこの方の意見は私の思いと同質のものと感じます。
つまり「美術館という箱を作ることだけでは、文化は育たない。」との指摘と思います。
「私は箱作りより人作り」と主張し、
この方は「人を育てる美術館運営を・・」との指摘なのだと思います。
政治が文化を語る上で大事なことはソフトパワーです。
しかし政治にはそのソフトパワーを扱える蓄積がありません。
箱は建設業者へ発注すれば完成します。
しかし美術館の持つ機能
1展示
2収集・保存
3研究
4教育
5作家支援
の全ての機能は箱ではなく、人によるものです。
学芸員と一言でいいますが、大きなマンパワーが必要です。
例えば
1収蔵品を如何に展示するか?
ただ作品を壁に飾るだけの作業ではありません。
つまりマンパワーなくして美術館は存在しません。
そしてマンパワーを育成する美術館でなくてはいけません。
展示という作業だけでも「自己を表現する力」が必要なのです。
そのような人材が役所の中に多数おられるとは思えません。
私は「美術館を建てる前に、芸術を担う人材を育てるべき。」と主張するのです。
美術館の建設を譲歩しても
「美術館は芸術を担う人を育てる機能をもつべき。」と考えるのです。
その用意もなく、「ただ収蔵品があるから展示場所を作ろう。」との理由や「県庁所在地で美術館がないのは前橋だけ。」との理由での建設はあまりに拙速であると考えます。
もっと根源に戻り、
・小中学校教育での芸術活動の充実
・郷土の歴史文化、伝統行事への理解
・学力以外に表現する力を学ぶ教育
・経済的な芸術活動への支援
・芸術活動を学ぶ子供への奨学金制度
・・・・
から始めるべきと思うのです。


朝の街頭活動

◆一昨日の朝の雨、2日間、連続して朝の交差点での辻立ちで濡れました。
少し風邪気味です。朝の通勤時間に交差点を通られる方々への挨拶は
市民の認知度を肌で感じる貴重な機会です。少しばかりの咳で休みにはできません。活動初日以来、休日を除いて活動してきました。しかし明日は休みます。
膳→女渕→女渕西→込皆戸と来ましたが明日は休憩。次回は深津のどこかで
立ちたいです。明日は多分一日、事務所で書類整理やデザインについての打ち合わせをしています。お暇があれば、お茶のみにお寄りください。
◆5月21日葉山芸術祭企画 芸術祭を作ろう!会議 で
前橋美術館構想に対する私の考えを意見発表できるかとの問い合わせを頂きました。そしてメイルには「美術館に代る文化や芸術による市民力の向上にとっては如何なる文化芸術構想が好ましいかも話して下さい。」。とあります。
○芸術祭をつくろう 地域に根ざしたアートイベントをどうつくるか?
http://www.kanshin.jp/hayama-artfes/?mode=keyword&id=900873
21日は12時から私自身が招集するミーティングが前橋であります。
いろいろな意見が聞くことができる葉山芸術祭ですが、参加するかを悩みます。


芸術を支えるコンセプトと文化力

第14回粕川アートフェス 5/21-5/29に粕川の中の沢美術館を中心に開催されます。
前回私が出掛けた時は小雨でした。野外の展示やインスタレーションは寂し感じがしましたが今年は積極的にアーチストインレジデンスを回ってみようと思います。チラシでは13か所のワークショップを回るスタンプラリーがあるようです。この10日間。いろいろな色合いの花を見ながら粕川を自転車で回りましたが粕川全てが美術館になる展覧会は楽しみです。
問い合わせは中之沢美術館027-285-2880
中之条町で行われる美術祭 中之条町ビエンナーレの案内チラシを友人から送っていただきました。http://nakanojo-biennale.com/ 8/20-10/2
チラシには「二年に一度、四万・尻焼など多くの温泉郷を有する群馬県中之条町に、国内外から多くのアーティストが集い、木造校舎や商店街など町全体を美術館に変えてしまいます。
アーティスト自ら場所を選び、風土に触れ、住民と交流して展示空間を作り上げます。
この土地で生まれた作品は、訪れる人を魅了すると共に、この地で生きる人々に新鮮な驚きと発見を与えてくれます。人が人と当たり前に繋がり合うこの町で、作家・住人・観客が一緒に作り上げる大規模アートイベント、第3回中之条ビエンナーレがいよいよ始まります。」とあります
つまりアートを通じて交流が始まる企画です。
http://www.kanshin.jp/hayama-artfes/?mode=top
葉山芸術祭は私の友人が実行委員を務める純粋な市民イベントです。多くのアートストが暮らす街だからこそ可能な規模です。しかしそれだけでは不十分です。それぞれのアートストが「葉山」という場所を表現の舞台として如何に関わって貰う切っ掛けは、実行委員会のコンセプトです。
それがしっかりしているからこの芸術祭は楽しいのです。
今回の企画の中で私の興味があるのは「葉山コンパ ウンド・ハウジング」
ある日突然、葉山の建設されることになった住宅と、その近隣住民との協調の中で建設計画が立案されていくという経過を見せてくれるノンフィクションです。
従来、一定の規模を持った宅地開発(マンション含む)では、近隣住民の対立があります。
開発業者と住民は対立的な関係の中で問題を処理してきまし た。ごく簡単に言えば、「是か非か」のみで語られてきたのが、「景観保護・自然保護」と「開発」の関係でした。ここにご紹介する「葉山コンパ ウンド・ハウジング」プロジェクトは、従来からの対立構造を乗り越え、土地所有者と住民がプロジェクトの企画・設計を任され た建築事務所を通してともに知恵と力を出し合 うことで、互いのコンセンサスとパートナーシッ プを損なうことなく完成に至った開発例です。私はこの協議の過程こそ、「文化」だと思っています。 前橋の市民美術館構想を考える上で重要な学びになる筈です。


ビンラディンの死では終わらない。

ウサマ・ビンラディンが米軍によって射殺されたとの報道。
自国の主権がおよばない他国に兵士を送り家族と一緒に容疑者を射殺する。アメリカの正義とはネイティブアメリカンを騎兵隊がライフル銃で追い払った当時と同じ精神です。この精神性を他国に押し付けた事自体が「ウサマ・ビンラディン」を生んだ事に気付かない。同じ事の繰り返しを私たちはパレスティナでも見てきた。共に相手への攻撃を繰り返す。この反復は鏡の中の自分と戦く様です。
我が家は、「ブッシュ嫌い」です。結局アフガンの貧困など無関心だったブッシュのアメリカはウマサ・ビンラディンを追ってアフガンにのめり込みます。ついでに石油利権絡みでイラクに侵攻しました。(このあたりのコメントは過去にもずいぶんして来ましたが。今も変わりません。)それにしてもオバマさんは如何したのでしょう。部隊を引き揚げると約束したアフガンからの撤退は進みません。グエンタナモのイスラム系収容所も閉鎖できていません。民生の安定もできず、アフガンは貧困の底にいます。
はっきり申し上げて。ビンラディン殺害は暴力です。重武装したアメリカ兵が単純な武器を持つ数人の護衛で守られただけの一人の男を射殺するべき理由はなかったでしょう。報道では、「実際に彼は抵抗した、殺害は不可避だった。」とされますが正当性を感じません。
今回のアメリカの行いは負の連鎖の始まりにすぎません。アメリカは巨大な国です。強いものが、先ず自分の行動を抑制することが平和のはじまりになる筈です。学校の廊下のごみを隣のクラスの廊下へ押しやる子供の喧嘩です。ヘレン ミアーズ「アメリカの鏡;日本」でも書かれているようにアメリカは自国が行った暴力を他国から受けているのです。価値観は一つではないのです。アメリカと日本、アフガン・・・
もしできるなら、イスラムの女性、教育も受けず、働けず、貧困の中で暮らす女性を救う応援をアメリカは始めるべきだ。女性は再生の象徴であり、アフガンの再生を生みだすと信じている。貧困ゆえに親に結婚を決められ焼身自殺する若い女性の姿をアメリカは知るべきです。
私のデスクに川原尚行さんのハガキが飾ってあります。外務省の医官を退職しスーダンで医療活動を続ける方です。小倉高校ラグビー部。彼はイスラム国家スーダンで女の子と為の学校を建設し運営しています。医療活動だけではなく民生全体のレベルを上げるためには「女子教育が必要だった。」と言っています。
川原さんに出来る事をアメリカには出来ない。不思議なことです。映画「ブッシュ」の中でチェイニー副大統領が言った言葉「石油を支配すればいい。」と言葉に尽きます。
日本においても身勝手な精神性が蔓延しています。コンビニの雑誌売り場には子供たちに見せる事も憚れる性描写の表紙。震災の被災者を支援する活動も政党の利己の為に進捗が遅くなっています。私たちが失った利他の精神性をこの震災でもう一度復活する。その再生の一歩をここから始めるのです。
今日は長くなりました。児童養護施設の仲間と出逢い、その頑張る姿に今まで思ってきた事を書きたくなりました。数百の親を失った子供がいます。私たちはこの子供を支える日本になりましょう。


粕川 行脚4日目



◆中学校高校と幼馴染が事務所に寄ってくれた。
彼は一冊のビジネス書を紹介してくれました。
「企業と役所の違いはありますが、非常に、参考になるのではないかと思います。
是非、一読を・・・」 とのこと。その本は
「CEO 最高経営責任者」(著 トーマス・J・ネフ)
「組織内でのコミュニケーション能力、特に「聞く」能力は人間の力を引き出す為には不可欠なもの。」と書かれていました。有権者に選ばれた公約を実行するのは政治家ではなく、役所のスタッフである以上、先ずは組織での目的の共有化と実行へのロードマップを確認することと私は感じました。実はこの事は私自身も以前より考えていた事です。客観的には私は性急なリーダーシップと思われるでしょうが、本当の私はコンセンサスを積み上げていくタイプです。
権力が自己の思いに捉われすぎて無理を重ねる事の問題点を私はたくさん見てきました。理想は共有化されなければ唯の傲慢であります。阿久根市や名古屋市における市政の混乱はこの点が原因ではないでしょうか?首長が一方の民意代表機関である議会を排除したり、組織を恣意のままに捻じ曲げることは慎むべき事だと以前から申し上げてきた事はこの理由からです。
私はおごる権力には(自分自身の奢りも含めて)徹底的に戦います。
◆粕川の月田~稲里の地区の挨拶が済みました。明日は膳から始めます。家人に会えるのは半分。半分の方は留守です。たまに畑やハウスの中でお茶を飲んでいる人からいっぱいの飲み物を頂く事が有ります。「効率が悪い。」との意見も有りますが、私は地域をポツポツ訪ねる行脚が好きです。必ず地域の名所や旧跡があると休憩します。今回の粕川では「粕川歴史資料館」と「中の沢美術館」が訪問した際に休館だったのが残念です。政治活動に王道などありません。コツコツと思いを伝え、思いを頂くだけです。「この方法は非効率・・・」と否定はしません。政治は元々数字では測り知れないものですから。
そうはいっても、当てもなく畑の道を歩いては非効率です。自転車にナビをくっ付けています。パンクの時の充填剤、意見をメモする手帳などはザドルバックに入れて、とても快適な行脚です