任期最終日もあっという間。


県議会議員としての最後の一日は今までの活動が詰まった日でした。
◆赤城白川のごみ掃除から始まりました
白川は南橘地区の中心を流れる一級河川です。
菜の花が河川の土手に揺れる美しい川です。
昨日は南橘地区の数百人の人々が一斉に
この川の右岸・左岸・上流・下流の4組に分かれて
ごみを拾って歩くのです。
私は昨年並みにごみを拾いたくて、近くで拾った棒を川に突っ込んではゴミ拾いしましたが、昨年よりも今年はごみが少なくなっていました。
4月で引退した公民館の館長さんや副市長さんの姿もありました。
こんな取り組みがきっと前橋のあちこちが行われているのでしょう。
◆夜はその前館長さんの送別会が南橘地区の人たちの主催で行われました。
私は太田の結婚式から急いで戻って代理の妻と交代。
300人もの地域の人たちに送られる館長さんに私は2年からお世話になりました。
私が南橘から、学んだことは「地域力」です。
やる事が正しければ、地域の方は力を出し合ってその目標へ進みます。
市民主導、市民自治を肌で感じたことは私にとって素晴らしい経験になる筈です。
◆友人のグランドゴルフ大会で手伝い
素晴らしい天候のなか、地域の仲間と楽しい時間です。
残念ながら私は午後からのお葬式の為にプレーはできませんでしたが
しばらくぶりに草のにおいの中で走れました。
◆突然の不幸
友人の妹さんのお葬式でした。
ひき逃げ事故によってご逝去されました。
夫婦で参列できました。
◆友人の息子さんの結婚式で太田へ
私と友人は20年近く前、「太田へサッカースタジアムを作る。」運動で一緒でした。
その時は、メンバーの一員としてのささやかな出会いにすぎませんでした。
そして5年前の知事選挙で再び出会い、友情を深め、今は私の大事な友人の一人です。
お互いの50歳に突入しました。もうじき、おじいちゃんですね。
さて媒酌人は笹川博義議員でした。
◆さあー。今日はまた粕川を歩きます。


最近の活動

10日以上も日記を書かないことはしばらくぶりです。
今までとは違った形の活動が始まったからです。
「はじめは困難なり。」とのことば通り。
手間取る事も多々あります。
モウしばらくして慣れれば、きっとリズム感が湧いてくるでしょう。
地方選挙が終わりました。選挙期間中に候補者ではないが
日記を控えていた事も、ブランクの理由です。
当選された候補者へは今後の任務の多難を思いご苦労を労ります。
落選された候補者へは議席は無くても、社会活動は続けてほしいと願います。
26日から粕川の家々を訪問しています。
3日間で中の沢から月田小学校まで下ってきました。
いろいろな意見を頂きました。
・震災への対応への意見
・赤城南麓の農地の荒廃について
・・・・
投票所もなくなって政治には興味がない!とのことばに身が縮みました。
朝は女渕やアバンセの交差点で辻立ちしています。
一時間で300台程の交通量ですが、15%の方が激励してくれます。
こんな情報を発信するのはマイナスですが、
敢えて私の活動の様子を公開することが政治を市民に近づける事になると思っています。


物資の御礼ほか

震災直後から自民党群馬県では、いろいろなチャンネルを通じての
物資の提供を呼び掛にたいして、ご厚情を頂きありがとうございました。
お蔭さまで今まで8回の温泉や物資搬送が行えました。
また300万円もの義援金を日本赤十字社へ送る事が出来ました。
詳細はhttp://www.jimin-gunma.jp/index_quake.html
心から皆さまへ御礼を申し上げます。
さて自民党群馬では以下のアクトで物資支援搬送活動、募金活動を終了致します。
25日発 気仙沼市 児童養護施設へ配達 (玩具・ランドセル・子供服)
25日発 釜石市  炊き出し及び物資配達(自転車、毛布等)
27日発 石巻市  物資(自転車・水)配達
今後は新議員も含め、県連青年部を中心として
被災地における泥出しやガレキの片付けなどの作業支援を行いたいと考えております。
今までにご支援を頂きました事を心から感謝を申し上げます。
◆私の震災対策委員、広報委員長との政党の役割も残り一週間です。
少しホッとしています。
◆危機対応こそ政治の根幹です。
備えあれば憂いなし。のことばを怠ってきた政治の責任は重いです。
自治体においてもハザードマップや、家庭における災害対策用品の準備、
避難訓練の実施や被災者支援コーディネーターの養成など、
自治体でも準備をできるものだと思います。
それらの議論の中で、はじめてエネルギーの将来構想が浮かんでくるのではないかと思うのです。
(もちろん、昨日書いたように日本人の暮らしの形の議論も大事ですが。)
◆昨日も新潟柏崎原発において小規模ながら火災がおこったと報道されました。
原発の問題に関して、将来の在り方への議論が移りつつあります。
私自身も昨日の書き込みで、原発の在り方論について提起をしました。
現実の原発事故への対応策と稼働中原発が危機に見舞われたときに、
どう対処するかを検討し、その後、その対応を踏まえて今後のエネルギー政策が在ると感じました。
あえて現時点での私見を言えば
エネルギー危機に関しては、天然ガスやメタンハイドレートなど新しいエネルギーを利用する大型の仕組みも大事ですが、一方、地域、個人の自己調達を進める事も大事です。電力会社による供給から、自家調達の分散型への転換です。送電コストを考える観点も必要でしょう。
畜産農家は家畜糞尿利用のメタン発電。山の奥の集落では木質バイオマス、
日照条件の良い地域は太陽光、風力や潮力・・・
地域特性にあったエネルギーの地産化の推進を私は地方政治家として構想していきたいと思います。


復興の形は国民議論で・・

[りゅうさんは原発問題をどのようにお考えになっているのでしょうか?]
この答えを私は未だ得ていません。思っていることだけを書きます
「復興」とは、一度衰えたものが再び過去の勢いを取り戻す事です。
一体、どの時代の過去の勢いを私たちは再現するつもりなのでしょうか。
ジャパンアズNO1の時代なのでしょうか?
エコノミック アニマルと呼ばれた時代なのでしょうか?
この問いはつまり
エネルギーの大量消費を前提にしている時代を復興の目標にするべきでしょうか?
との自問であります。
どの時代を復興の目標にする?にこそ「原発を含めてのエネルギー」の在り方が関わってくるのです。
10年後には中国のGDPは日本の倍の規模にまで拡大するでしょう。
私たちは成長の先輩として考えるべきです。
幸いにも復興の形を議論で出来る民主主義も手に入れました。
日本は如何なる社会を作ろうとしているのか?との国民の議論が必要です。
高度成長を達成した日本。
成長のなれの果てに私たちが直面するのは、神話と呼ばれた虚構の現実です。
今まで坂を駆け登る途中では見えなかったものを今見ています。
「原発を管理する業と官と政の狎れ合い」の結果を知りました。
幸いにも輝くネオンがなくても暮らせる事は知る事が出来ました。
困った時に手を差し伸べてくれる善意に出会えました。
このまま復興国債や増税による突貫工事をする前に
私は立ち止り、考えたいのです。日本人の暮らしの姿を・・・
このままでは、日本は異形の進化をつづけていくのです。
ps
みなさんは“ベクシル2077日本鎖国”をみたことがありますか?
ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%AB_2077%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%8E%96%E5%9B%BD
21世紀、バイオテクノロジーとロボット産業の急速な発展により人類の寿命は飛躍的に延び、日本は世界の市場を独占し大きくリードした。しかし同時に様々な危険性も浮かび上がったため、国際連合はこれらの技術に対して厳格な規制をかけようと動き出す。しかし日本はそれに従うことなく、2067年にハイテク技術を駆使し鎖国状態に突入。外国人は日本に入国できなくなり、その情勢を外から窺い知ることはできなくなった。
それから10年後の2077年、アメリカ合衆国の特殊部隊・SWORD所属の女性兵士ベクシルが日本への潜入を試み成功する。しかし目の前に広がったのは、想像を絶する日本の姿であった。


三度目の退職

51歳の春。三度の退職を迎えました。不思議と後ろ髪を引かれる気持はありません。
午後から参議院の議員会館にて国会議員との県組織の執行部との運営会議が行われました。簡単にいえば県組織の幹部が引退するために急きょ今後の運営の方針を協議したのです。
私の引退は想定された事ですが、県組織の中核である幹事長と議員団長の落選によって代行を立てて次の新人事まで任せる事などを決定しました。私たち、引退組の役員3名は事実上、今日で引退です。明日の各派代表者会議には私の替わりに須藤明男さんが出席されます。
東京から午後6時には前橋へ戻りました。
事務所は片づけが終わってきれいになっていました。近くの事業所の経営者からお借りした部屋へ作業の備品なども運ばれ、
いつもは書類やコピー用紙の箱が積まれた倉庫が綺麗なミーティング室へ衣替えです。
私にとって退職は挑戦の準備の始まりです。
以下は34歳の春、一年後の県議会選挙へ立候補する準備のため、十数年お手伝いした小渕恵三さんの事務所を退職した時、決めた私の行動原則と心得です。
これらは、初めての私の選挙用広報誌に私が書いたものです、
しばらくぶりに事務所を整理で発見されました。読み直しています。
山本龍の行動原則:
1社会の中に分け入って人の思いを感じること
2感じたことを整理して政治のやるべきことを構想すること
3構想したことを人へ伝える事。
4伝えたことを現実化するように行動する事。
龍の心得:
・自分の決めた事だから、自分でやり遂げる。
・できることからコツコツ努力する
・物事の最初は困難と覚悟すること。
・どうせなら楽しく考える。
まだ未熟な政治活動家だった私の文章ですが、
読み直しても、その当時の素直な感情が思い出されます。
そして私が47歳、また11年間、席を預かった群馬県議会を辞職しました。一年間、群馬県中を歩いてみよう。と思っての出発です。「前途三千里・・・」と芭蕉の気持を思いました。
51歳の春。三度の退職を迎えました。不思議と後ろ髪を引かれる気持はありません。私の役割を果たすだけです。つまり暮らしの思いを知り、自分の理念を作り上げ、実行する事です。


復興の形

候補者ではなかったが選挙の期間中の書き込みは遠慮したいと考え10日間程のお無沙汰となりました。政党の地方組織の役員として群馬県内の候補者の支援に飛び回ってきました。多くの公認候補が議席を預かる事が出来た一方、党運営の柱だった役員や議員の落選など喜びと悔しさが交錯する結果となりました。
確かに全国的な自民党復調と民主退潮の流れを群馬県も感じる結果となりましたが、
私自身の率直な感想は政党政治への有権者の無関心です。もっともっと政党という政治集団が暮らしの中に分け入る努力をしないと地方政治における政党は魅力を失うと思うのです。
10日の読売新聞の紙面に掲載された中曽根康弘氏の意見に
「政党は自らを計算にいれず、国を考えなさい。」との意が述べられていました。
「国家人民のための政治であって、政治のための国家人民ではない。(龍の意訳)」との上杉鷹山のことばを連想しました。
一人ひとりの議員の精神性が今の政治において問われているのだと感じます。
さて、朝日新聞が「日本の復興」とのタイトルで意見を募集されている記事を拝見しました。http://www.asahi.com/national/update/0410/TKY201104100164.html
私も書き始めました。「復興」とは、一度衰えたものが再び過去の勢いを取り戻す事です。一体、その時代の過去の勢いを私たちは再現するつもりなのでしょうか。
ジャパンアズNO1の時代なのでしょうか?
エコノミック アニマルと呼ばれた時代なのでしょうか?
それとも・・・
中曽根氏は読売新聞の「『新しい東北』世界に示せ」というインタビュー記事において、
「単に震災前に戻すのではなく、日本の新時代の先駆をなす次の時代の新しい東北地方を形成するという歴史的な意識を持って復興計画をつくれ。」と語られている。
この視点に私は賛成します。そしてそれは「東北」という地域の事ばかりではなく、日本の危機管理への盲信、電力会社や役所の組織の澱み、国民の安全ボケ・・・全ての領域のおいて新しい日本を構築するための復興であってほしい。