大晦日に感謝をこめて


2010年も今日が最後。
一年間のお付き合いに感謝申し上げます。
仲間たちから頂いたお餅を大みそかから食べまくっています。
新年も経済も雇用環境も厳しいと予想されています。
しかしその寒風に中にあって、暖めあう社会でありたいと願っています。
そして政治は、どんな境遇にある人々へも
「希望」のメッセージを届ける機能でありたいと存じます。
全ての人がそれぞれの夢に向かって
少しずつ近づける年になれと願いつつ
りゅう
今年最後の太陽
太田市、伊勢崎の友人を回って帰る途中で
地球という惑星の素晴らしさを実感しました。


クリスマスの夜に

クリスマスの夜に
我が家も長男が戻り家族が揃った。
父が他界したガランとした家に残る母から正月の料理の手配を伝える電話があった。
妹夫妻から食事の誘いも
兄からも正月の帰郷の連絡
それに加えて、妻の兄弟からも正月の集いの誘い。
心がうきうきするのは、家族の絆を感じる季節だからです。
個人の繋がり合った塊を社会と呼ぶなら、人は社会無しでは生きられない。
その「社会」の秩序の基本を成すものが政治であるなら
政治の存在とは「社会」を前提にする。
社会の個人化=非社会化を目指す政治は自己否定にも等しい。
私は社会化の川幅をより広くしていきたい。
それは個人の欲望より社会を優先することと心得るのです。
少なくても政治家は社会がより良くなった結果、
構成員として得られる恩恵の端っこにいる存在であるとの信念です。
クリスマスの夜にたくさんの人々の善意が世界を支えているのだと思います。
公園で炊き出しする人の姿、困窮した人への善意
助け合う事が出来るのは社会があるからです。
社会の総体の記憶こそ伝統というなら、私たちは助け合うとの伝統を守るべきです。
その社会を貫く善意、正義の心に感謝を捧げたいと思います
この素敵な夜に全ての人が家族や仲間の絆の中で優しい気持ちに満ちていてほしいと願いつつ。


前知事の訃報 男おひとりさま道 萩尾望都 

◆前知事さんの訃報が届きました。
お悔やみを申し上げます。参議院選挙後、体調を崩されたと聞いていました。残念です。切磋琢磨にはライバルが必要であり、また外から監視されるベテランの存在は権力に一定の緊張感を生みます。落選したライバルにマニフェスト監視機能を付与するなどの仕組みも大事です。
感じる事もあります。選挙直後に体調を崩し亡くなられる場合がけして少なくありません。
それほど、選挙は体力や気力を消費するものなのでしょう。
◆今日、高崎選挙公募者の届けがありました。これで私の公募を担当する役割の多くが終了しました。素晴らしい候補者になると信じます。
一連の県議選候補者公募の中で感じることがあります。少数の応募しかないことです。
つまり地方政治を担当することへの興味の少なさを実感致します。
私たちはガラパゴスのトカゲのように狭い政界で漫然と暮らす希少動物なのかと感じます。或いは「選挙」は特定の条件を持つ人だけが参加できる競技になってしまったことです。政治を問うして叶えたい社会活動を経験した多くの人材の受け皿に地方政治をすることこそ、この公募制度の目的だったのですが・・・・
◆「男おひとりさま道;上野千鶴子著」
著者には失礼ですが、多くの男は妻に依存していません。共存しているのです。私は自分の妻との相互補完の関係にあります。それは暮らし方においてではなく精神においてです。城山三郎氏が自身の妻の死を認めようとしないことを著者は書いています。
たぶん私も同様です。そして妻も同様でしょう。
私たち夫婦は、共存してきた日々の思い出を共有しています。私の存在は彼女の記憶の中にある「夫;龍の思い出」によって保証されています。彼女の存在も同様に私が持つ妻への記憶によって保証されているのです。
◆萩尾望都(はぎお もと)の漫画「トーマの心臓」に中で主人公が残すことばを思い出してしまった。「人は2度死ぬ。人間としての死。そして2度目は死んだ人の記憶がわせれられる時・・・」
◆来年度の子ども手当について、0~2歳の子どもがいる世帯への7000円上積みする為の財源2500億円は全額国費でまかなう。内訳は、所得控除などの縮小で生じる国の増収分2000億円、厚生労働省の他の予算削減で捻出する200億円に加え、同省の自治体向け補助金300億円を流用する・・・・この綱渡りをいつまで続けるつもりなのか?


松田直樹まってるぞ!!

週末は街頭での政治活動に小さなスピーカーをくっつけて廻っている
10時から11時までは敷島サッカースタジアム
ザスパのセレクションを見学
U23星野、動き良かった
久しぶりのサカスタ
ボールを蹴る音も響いて、やっぱり近いといいな。
ここにどうにか2階だて観客席できればヤッパリここがいいです。
陸上競技場の聖火台を動かして聖火台を観客席上部へ移動。
その分席を設置して1000席増加。
ネット裏に1000ずつ。・・・この予算で陸上連盟と調整が必要な正田スタよりはサカスタ改修が現時点での最善策かな。
“トルシエJapan” “不動のレギュラー” ”群馬県出身、育英OB”
松田直樹が横浜F・マリノスより戦力外通告
http://www.youtube.com/watch?v=dGJDst_B9C0
(松田選手引退挨拶)
「大好きなサッカーをもっとやりたい!」
故郷群馬に戻ってこい。


子供手当から滞納給食費を差し引きへ

◆滞納給食費・保育料が子ども手当の支給額から天引ができるようになる。
子ども手当初年度に幾つかの自治体が給食費などの滞納を差し引く事を検討したが政府からそれは制度の趣旨に反すると反対され断念した。
(群馬県でも太田市などが提案した。)
私も今回も地方6000億を負担させる政府方針を聞いたとき、
「今年度限りの約束はどうした?群馬県は断れ!もし負担するなら地方分については別建て支給にして、滞納差し引きを認める。」との意見を提案した
したがって、今回の民主党の方針転換は歓迎です。
しかし本をただせば、子供手当の財源は「無駄の削減で捻出する。」はずだったのでは???その財源の確保ができないままでは、地方負担は恒久化されてしまう。せめて所得制限が必要だと思います。
実は妻は娘への支給を市役所に辞退している。
自民党地方議員の妻の反骨かもしれません。
自民党群馬県連は、個々の支給よりは、子どもを育てる環境整備に回すべきと主張してきた。
つまり保育園や幼稚園の支援や奨学金の充実や困窮世帯への負担軽減・・・
それらが崩壊して個々へ支給する今の子供手当や農家への個別保障など
どうしても社会から個人への転換が問題なのだと思う。
◆コハクチョウに強毒性鳥インフルエンザ。
島根県に飛来した個体から検出されたらしい。
館林市の多々良沼もコハクチョウの飛来地。
島根と違うところから飛んできたのならいいのですが?
調べる必要ありでしょう!
県の衛生環境部には早速に調査を望みたい。
◆今日は街頭活動10か所


金沢市長選  偉人の覚悟

◆金沢市長選ネットを利用した選挙運動について、
与野党が選挙期間中のホームページやブログの更新などを解禁する公選法改正案に合意したが、ツイッターは当面自粛としたが、鳩山前首相の退陣などで改正法案は提出されなかったはず。つまりネット選挙は禁止のままです。ツイッター使用は公選法では違反だと思いますが・・・
◆『暁鐘を撞つ: 井上新甫著』を読んだ。
「政治は巧みな政略でも 難しい理論でもない。
国民の情に如何に応えるかであり、それは政治にあたる者即ち〈人〉が問題なのである。」
と著者は書いている。難しいが私たちが覚悟をするべき言葉です。
弟子の国家にとって大事なものはなにか?と尋ねられた孔子は
「兵と食と信」と答えた。どれを捨てられるか?とさらに尋ねられると
「兵と食」を捨てると答え、その理由をこうに答えたそうです。
『兵と食を捨てれば人は皆死ぬ。しかし信義無しには、なにも成り立たない。』
つまり経済が破たんし、国が攻め込まれてもその民族が子々孫々にわたり信義を固く守り得ればやがて国は復興するとの主張である。これは国力の新しい基準も示している。それは国土の広さでもなく、財政や軍備の多寡でもなく、国民の精神性の高さによるものである。という視点である。
この本の結びに著者が書いている言葉もまた私たち政治を担うものが心に刻むべきことと思います。
紹介しておきます。
「人間にとって欲望ほど厄介なものはない。これが人を良くも悪くもする。人生は欲望との戦いです。」
「改革の根本は欲望を断つことに限る。」
「政治の迷走も官僚の堕落も食の危機もおよそ世の中の腐敗は人がその本来持っている心を失ったからである。」
そして著者は、いまだ「信義」に気付かず眠る私たちに覚醒の鐘を打ち続けてくださっています。

監獄に入れられたマンデラと看守の交流を描く『マンデラの名もなき看守』南アフリカのラグビーナショナルチームのワールドカップ勝利までの国家指導者マンデラを描く『インビクタス/負けざる者たち』
こんな映画の中に、井上新甫さんの言われる「信義を持つ政治家の覚悟」がある。
こんな人の人生を見ると私の甘ちゃんに恥ずかしく思えます。彼の人生への取り組みに圧倒されます。毎日独裁と戦い、投獄され、それでも人々へ救いの手を差し伸べている先人の足跡に圧倒されるのです。
私は鎖に繋がれて牢にいるのではありません。権力に命を奪われる恐怖もありません。だからこそ、私は、もっともっと夢を語り、その実現に向かって歩き続ける覚悟が必要です。貧しくても困難のなかでも、夢を語る街角には使用料は掛からない。
幸いに私たちは多くの仲間とともにいる。なにを恐れる事はない。


今年の一字

今年の世相を表す漢字は「暑」とのことです。
この1年の世相を漢字で表すと、どのような1字になるのか。年末の恒例になっている。
「今年の漢字」が、京都・清水寺で発表された。
「暑」
なんか今回はあまりピンとこなかったですね。
1995年「震」(阪神・淡路大震災やオウム事件などに“震えた”年)
1996年「食」(O-157事件や税金と福祉を「食いもの」にした汚職事件の多発)
1997年「倒」(山一證券などの大型倒産、強豪倒してサッカーW杯初出場)
1998年「毒」(和歌山カレー毒物混入事件や環境ホルモンなど“毒”が問題に)
1999年「末」(世紀末、「世も末」な事件の多発)
2000年「金」(シドニー五輪の金メダル、朝鮮半島の“金・金”首脳会談など)
2001年「戦」(米国同時多発テロの発生、世界的な不況との“戦い”)
2002年「帰」(北朝鮮から拉致被害者が帰国、リバイバルブームなど)
2003年「虎」(阪神優勝や「虎の尾をふむ」ようなイラク派遣問題など)
2004年「災」(台風や新潟中越地震、記録的な猛暑、凄惨な殺害事件の発生)
2005年「愛」(紀宮様ご成婚、愛・地球博の開催、各界のアイちゃん活躍)
2006年「命」(悠仁様のご誕生、いじめ自殺や飲酒事故など命の重み痛感)
2007年「偽」(食品偽装や政界・スポーツ選手まで“偽”が発覚)
2008年「変」(世界経済大変動、日米政治変化、生活環境の変化、気候変動など)
2009年「新」(新内閣発足、イチロー新記録、裁判員などの新制度、新型インフル)
と続いてきた「今年の一字」は、毎年「成る程!」と納得をする発表だった。
しかし今年はぎこちない。
・・・暑・・・
確かに気温の上昇に悩まされた年だったが、庶民の暮らしに熱は感じなかった。
むしろ、日本の存在感や政府への信頼がドンドン漏れ落ちる印象をもった。
同時に暮らしの底が抜けて、生活が崩れていく様も感じました。
政権交代の熱狂への反動が私たちに再び立ち上がる勇気を奪っています。
高度成長の成れの果ての落ちぶれはてた日本に対しての諦めが
冷静に国民の中に浸透した年だったと感じます。
そこで私の選ぶ一字は
「諦」 「漏」
ですね。
来年は「福」になるように・・・


阿久根市 名古屋市

◆私たちが国政のへ諦めを感じるように
地方政治への諦めを感じる人は多い。
中央の政党の下請け機関。利権や功名欲の塊と揶揄される。
私たちは中央の政党の単なる歯車ではなく
地方における政治活動家の緩やかな連帯の集団だと私自身は感じている。
日本という塊を大事にする精神性を共有するがゆえに自民党の看板を背負っているが
政策へのスタンスは33名の議員間の議論をすればその差はあまりに大きい。
有害鳥獣対策からザスパスタジアムまでの政治課題で真逆の主張に出くわすことは決して稀なことではない。
激しい議論がぶつかることもある。
私はこの時間にたまらなく幸せを感じます。
◆これが議会なんだと感じるのです。
多様な言葉がぶつかり合い、交差しあい、人の思考の中で混じりあい
新しい言葉として発信される。
まるで脳の中にある沢山のシナプスが電気信号によって交感し合っているような様。
これがたったひとりの権力者が、誰の影響も受けずに自分の指示を発する政治
独裁政治では、この交感はその権力者の頭脳の中で行われ、誰の目にも見えない。
だから多様な人の思いが意見が飛びかう議会は楽しいのです。
もし議会が独裁によって言葉を失ったら、人々は政治を見はる一つの窓を閉ざされたと同じです。
一方、たった一人の責任において政治を行う権力者の言葉が生まれた経過を
他人は知ることはできない。彼自身の脳細胞を見られないからだ。
だからこそ権力には説明責任が必要なのだ。
阿久根市においても名古屋市においても
一人の権力者の側に説明義務がある。


毎日新聞報道に関して。須藤和臣さんの質問。

◆今朝の毎日の報道「前橋市長選挙に関する記事」について
私自身への取材もないままの記事であり、不適正だと抗議します。
私は一次公認者として次期県議選挙に前橋選挙区から立候補する立場です
監視者、提言者としての県議会を辞職してから自治体運営者としての知事を目指しました。
知事選挙に向かって多くの仲間と一緒にその夢に向かって走り続けて行くべとと考えます。
山本龍の自治体経営のモデルを作っていくことが私の人生の夢です。
その夢をともにする素晴らしい仲間との出会いから三年が経ちました。
“山本龍モデルの政治の形をこの群馬で見せる!”
その夢を目指す旅には幾つかの難所に巡り合うでしょう。
しかし、乱気流の中、私たちの約束の地まで飛び続ける覚悟です
◆須藤和臣議員の質問に聞き入った。人材教育の観点から質問された。
“マネジメント” “イノベーション”の言葉を議会質問で議員の聞くことは稀です。
若手県議から発せられたこの輝くことばの重みを県庁が共有される事を祈ります。


政治の信頼は地方政治から

書くことは有るのですが、タイピングが進みません。
伝えたい事は有るのですが、ことばになりません。
政治全体の底が抜けて、真っ暗な絶望の暗黒に落ちているからです。
それは、民主党への批判ではありません。政府・政党・という中央政治への批判です。
振り返れば、自民党だったらどうだったのでしょうか?
就任直後に辞めた総理大臣をはじめ、民主党の姿を映す鏡です。
自民党だったら普天間は辺野古へ移ったでしょう
尖閣の船長は逮捕されずに追い出されたからこの騒ぎはなかったでしょう。
夫婦別姓も、個別保障制度のなかったでしょう。
それでも人々は民主党政権を選択しました。
そろそろ変革が必要だと思ったからです
政官財の癒着や高級官僚の特権の構図を打ち破れるチカラは政権交代しかない。
との期待は、民主党の準備不足や人材不足による混乱は甘受しようとの気持ちです
しかし自民党時代よりこれほど混乱するとは・・・その予想を超えたカオスに耐える覚悟が有権者には足りませんでした。
しかし、いますぐに自民党へ政権を渡す気持ちにもなれない理由はなぜしょう。
同じ道へ戻るだけだと承知しているからです。政権交代の意味を確認したいからです
しかしこのままの混乱が続けば、今のままでは自民党への期待ではなく
有権者は諦めるのです。民主党政権をあきらめることは、政党政治への諦めにつながります。政治家の哲学、正義感に落胆した国民は、歴史上の哲人政治への憧れを増すでしょう。
ペリクレスは政治家ですが、ソクラテス、モンテスキュー、ベンサム・・・
数多の高名は哲学者や思想家に政治を委ねたい衝動が、本来は有権者自らの主権を明け渡してしなう結果になるかもしれません。
現在の政治家は、自らの立つ民主主義という土台を自ら壊そうとしているのかもしれない。
民主主義への期待を復活させる最大の力は地方政治の覚悟しかありません。
中央政治の下請け組織ではない、ローカルな政治集団への転換が求められています。暮らしに近い場所にいる我々の覚悟こそ、今一番必要な事でしょう。