命を守る政治を造る。

午前中、雪が舞いました。利根はもう確実に冬です。
「書き込みが少なくなった。」
「湧き上がる情熱が感じられない。」
色々な意見を頂いています。決意以来5ヶ月、もう私の心の中で挑戦者の情熱が変質してしまったのでしょうか?自分ではそう感じなくても、きっと私の行動を通じて、その変化を感じる方がいる。その事を私へ伝えてくれる人たちへ感謝します。自省と自律は人に必要な最重要な能力でしょう。でも言われなくては判らないことがあります。自分で気づく事ができる人は稀でしょう。だから、注意や苦言を伝えてくれる仲間がいる事は大事です。政治にとっては、世論ですね。民意ですね。それを如何にくみ上げるかで政治の中身が変わってきます。
しかし私の情熱や正義感が変わってきたわけではありません。表現方法が変わっただけです。心の中には、偉そうな権力者への怒りで一杯です。「格差はどの時代にもあった。格差が当たり前。」と言い放った小泉総理大臣の発言を忘れることはありません。政治こそ社会の中にある格差を埋める社会の仕組みです。その責任者の発言ではありません。弱いものを怠け者と切り捨てる単純さを憎みます。私もまだまだ知らない社会の暮らしがあります。でも政治は想像をするべきです。
一人の自殺した子供の周りで何が起こっているのか?
一人の自殺した零細企業の経営者の周りで何がおこっているのか?
お悔やみ欄の死亡記事から多くの格差や政治の怠慢が思い起こされます。
今日、妻から学校のいじめについての話を聞きました。私の身近な処に周囲の嫌がらせによって苦しむ子供がいる事を知って胸が痛みます。私は二人の子供に必ず聞きます。「学校でいじめられて子はいない?そんな子を見つけたら必ず助けるんだよ。」と。痣を見つけたらいじめや家庭内暴力を連想する事が必要です。児童養護施設の関係者だけでなく、子供と接する職場へは、「いじめの可能性を想定すべきサイン」をもう一度確認するべきです。そして加えて教職員が子供と触れ合う時間を確保するべきです。それを教職員の無関心によって見逃す事のないようにするべきです。痣のある子供の自宅訪問を怠り虐待死を防げなかった児童相談所の怠慢を憎みます。彼らが頑張れる仕組みを作るべきです。
もの言わぬ弱きものを虐待するなど許されません。政治が、声なき県民の願いを無視する事は、暮らしを踏みつける事です。そして政治が人を殺す事です。幾百の子供が自殺し、歩道のない通学路で事故に会い、拉致され、暴力におびえる。学校も警察も怠慢ではないでしょうか。やるべきことが出来ないならそれは権威ではありません。ただの馬鹿殿様ではありませんか。
だから私は今までの政治をぶっ壊して、命と暮らしを守る政治を作り上げるのです。私の挑戦の理由は怒りです。
今日私は、沼田の活動中ではありますが、急遽、前橋~高崎の街宣に出かけました。
そして多くの人へこの思いを伝えました。県政が変わることを祈りながら声を振り絞りました。