スケジュールHPより削除のお知らせ

長い間、皆さんへ、「龍のスケジュール」として公開してしてまいった行動予定表ですが削除いたしました。議員職在職中は公務などの日程を公開することで議員活動の実情をお知らせることは私たちの義務と考えていました。多くの訪問者から、議会の感触が伝わったとの批評を頂来、一定の責任は果たせたと考えます。しかし、今後は個人的な活動により、訪問者や面談者へのご迷惑を考え、公開を中断します。私の日々の活動につきましてはこのブログや群馬インターネットのSNSサイトを通じて報告してまります。また私の政治活動で多くの方を対象にするものにつきましては、HPのトップページにあるトピックスで告知を行う予定です。けして非公開、秘密行動を行うことではありません。
いよいよ私の46歳も残りわずか5日。充実の47歳がはじまろうとしている。勿論恐怖はある。逡巡もある。でも山が高ければ、あきらめてとどまるのですか?その山の向こうに私の救出を待っている方々がいる以上、進みましょう。


ジーコありがとう。次は植木ザスパだな。追伸あり

石もて追われるごときでは悲しいぞ。日本協会。
ジーコジャパンで私は楽しんだり悲しんだりの一ヶ月だった。親善マッチのドイツ戦の引き分けから、ブラジル戦の敗北。ジーコと選手へお疲れ様を申し上げる。しかし今回の新監督の発表は釈然としない。日本協会が4年後へ向かっての気持ちは共感できるが、日本代表の敗退が決まったばかりのこの時期の発表に戸惑う。何か協会自体の問題隠蔽の雰囲気すら感じる。
選手の自主性を尊重するジーコ手法への非難がマスコミに多いようだ。ではトルシエ監督で良かったのか。生徒指導担当の体育教師のような監督への非難はどこへ行ったのだ。任せた以上、その敗北の責任は監督就任を懇願した日本協会幹部もあるのではないか?市場に任せた結果の格差社会が出現した。しかし市場主義が格差社会の原因かもしれないが、市場原理主義を主導した政府の責任は無いのか?
さて、いよいよ国内リーグも注目ししないといけない、今日の新聞に敷島での出店イベントの記事があった。昨年、にぎやかだったので今年も楽しみだ。サッカー観戦も楽しいが、スタジアムの外から楽しめる企画をこれからも期待したい。
追伸です。
今日より、pa-gunma[群馬の行政を考えるメーリングリスト]を群馬インターネット社運営のSNSサイトへ移行しました。新規のコミュニティーサイトはWind.SNS 「オレンジフォース 「群馬の行政を考える」」コミュニティです。メーリングリストのメンバーは勿論、新規参加希望の方もお出かけください。


「小さきもの、普通であることのすばらしさ」

政局も深まった。トップページに書き込んだ私の所信のように、決断のときは刻一刻と近づく。もやはこれを過ぎれば引き返せない。この言葉は、私自身の心の中では、すでに発せられたものだ。いつだったかこのブログに「私の県政への思いが400字の言葉に纏められれば・・・」と書き込んだ。その日をもってこの決断はなされていたのだろう。
政局が深まるほど、県政への思いや行動はこのブログで書き込める容量を超えてしまった。「龍のスケジュール」の公開も憚らねばならないことになろう。
365日間の私の生まれた故郷を離れる挑戦の旅、心を伝える旅がはじまる。1日1000人の人と語れれば、36万5千人の人々と語れる。街宣カーももうすぐラッピング工場から戻る。朝は駅の街頭で、昼は商店街で、夕方はスーパーマーケットでチラシを配り、思いを語ろう。他の時間は家々を尋ね歩こう。1000人と手を握り、語り、聞き、考える。私の最大の楽しみだ。私はこれに集中する。集中し、人の心を信頼し、脇目をしないで集中する。
草津温泉の共同浴場で近所衆と湯煙のなかで体を伸ばすことも長らくのお預けだ。この旅に出る私は、最近不思議と家が懐かしくなる。愛おしくなる。草津といえば温泉、しかも昔から東西温泉番付けでは東の横綱だ。みんなが、草津に来てくれる。いい温泉だといってくれると正直うれしい。
ただ、ここに生まれて子供のころここで育つと草津温泉はやはり「いつもの温泉」に自分の中ではなっていた。だから、草津のすばらしさを説き、毎月80Kmも離れた草津に湯を浴びに来る友人を見ると、正直「そんなに草津がいいのかなあ」と思う。
『身近すぎることで見落としがちになる価値・宝』だ!「ふる郷は遠くにありて思うもの。」だ。これらも、身近すぎることの『盲点』を付いたことわざだ。身近すぎると、距離が近すぎると、つい『普通のこと』としてその価値を見失いがちだ。人間にはありがちだけど、政治をする人はそうならないように常に自分を戒めねばならない。それは権力を持てば持つほどそういう意識が大切だ。
今自分の身近で助けてくれ僕を支えてくれている人たちみんなが宝だ。妻もそうだ、子供もそうだ。妻なんて書くと恥ずかしいが、僕の支えだ。それは当然だという考え方もあろうが、一番身近なものをへの感謝をなくして、どうして他人への感謝の心を持てようか?僕は、身近な人に、苦労をかけるかもしれないが、そのことを肝に銘じて、身近な人ほど、宝、そしてより多くの人を自分にとって『身近な人』にしていきたい。
困ったことがあったら、僕の部屋を開放しておくから訪問してほしい、声をかけてほしい。

そして、明治期のある人がこんなことを書いていた。
「自分の中の偉大なものの小ささを知らない人は、他人の中の偉大なものの小ささもわからない。」
これを自分にあてはめればこうだ。僕の中の『草津温泉』は僕にとっては当たり前のもので、その意味で「ちいさなまも」だ。しかし、その「小さなもの」の偉大さ=多くの人がその湯を求めて草津に来てくれる=を知らなければ、僕は、他人の中の「小さなもの」の偉大さにも気がつかないおそれがある、ということだ。見た目に騙されず、みんなの、この群馬の、何気ない『普通』のものの中に、実はわれわれの未来にとって「価値のあるもの」が隠れている。それを探し出して大事にしていくことこそが政治の役目である。みんなの『思い』を形にする。そのために、7月からの、キャラバンでみんなの声を思いをできるだけ吸収したい。社会は「普通の人」で成り立っているわけで、特別な一部の人だけで成り立っていると思ったら大間違いだ。特に政治とはそういうものだと思う。


政治も流動性だ

どうした日本!でも嬉しい。最終戦まで夢をだいて応援できることが嬉しい。初戦は、10人で、事務所のテレビで、2戦はJU群馬の中古車取引会場の巨大モニター利用の800人のパブリックビューで。敷島の電光掲示板は色が付かないそうだ。この興奮をありがとう。良くぞW杯へ行ってくれた。ジーコが日本に何で来てくれたのだろう。住友金属のグランドに降りたった神様。
勝ち組負け組みを超えて~僕の考える地域社会。いろいろな人が、いてこそ社会に『色どり』がある。
1 人生は努力だ。努力すれば、勝ち負けも生まれる。これは勉強でも運動でも仕事でも政治でもなんでもそうだ。イチローや松井、すごいじゃないか。人に感動を与える努力だ。努力することはつらいけれども、疲れるけれども、自分を飛躍させるし 視野も経験も広がる。つまり、人生が充実することうけあいだ。しかし、努力したからといって『成功』するとは限らない。負けちゃうこともある。それもまた人生の真実。
2 だから大事なのは「勝っても、負けても」敗者復活が可能な社会のシステムと社会の気概だ。努力しても底辺の人はずっと底辺、努力しなくても上の人はずっと上というのはおかしい。そんな社会は絶対よどむ。だから、活力ある社会は「社会的流動性」が高い。つまり、いろいろ入れ替わるということだ(もちろん、入れ替わらない人もいる。それは、水面下で一生懸命努力しているからだ。流行っている老舗なんかはそうなんだろう)。これからは、何度も書いた通り、「人口減少かつ少子高齢化」。いわば重荷を背負って下り坂を下りるが如しだ。 そんな中でも、私は、まだ余力のあるうちに、この群馬では「流動性」を支える『敗者復活の社会システム』を整備したい。社会の流動性といっても、落ちるだけの一方向だけでは駄目だ。途中で張られた安全ネットとはしご階段は政治が作らないとね。そして、政治における『社会的流動性』の確保~多選禁止条例も用意しよう。
3 政治の世界も同じ。民主主義と選挙は、人権保障の為に政治がよどまないように「権力交代」を保証したシステムだ。しかし、権力というのは魔物で、一度手に入れると、楽をしてても権力の魔力で人がなびくことがある。その結果、既得権益とその死守で、地方では長期政権が続くことがある(それでも5期20年というのは全国で3県のみ)。アメリカなどは、2期8年に限定することで、その魔力、人間の欲望を断ち切った。理性的で合理的な選択である。
しかし、自ら権力から降りる人もいる。少し前で言えば熊本県知事だった細川護煕さん、三重県北川さん宮城県浅野前知事がそうだし逗子市長島市長がそうだ(彼はまだ30代なのに次の選挙には立候補をしないと表明した)なかなかできることではない。他方で5選して20年以上も1人で、権力を独占している知事は、全国で3人いる。福島県島根県等だ。
だから、私は、人間の弱さ権力の魔力を遮断すべく「3選まで」と多選禁止条例の制定を訴える。それは、県政における社会的流動性を確保し、民主主義の進展に資すると思う。


行政の基本への回帰

行政の役割というのは、以前誰かが「縁の下の力持ち」だと教えてくれた。
みんなから税金をあつめて、みんなのために、それぞれの仕事があるからできないことを、みんなに代わってやるのが行政の仕事の基本だ。具体的には、住民の生命財産の保護(警察消防)とそのためになる公共事業(治山、治水、道路等の維持管理)、それから地域の宝である子供に対する最低限の教育だ。教育なくして人格の発展、つまりその人なりの『花』をひらかせることはできないから。そういう意味で、教育は人権尊重の土台である。
これらは本来的に公で責任を持つべき分野であったり、民間企業では基本的にできないことである場合もあるし、できてもそれは、市場原理になじまないものであったりする。その外側に、人的、経済的余裕があれば行政の仕事になることが、神戸市のポートピア博にはじまったイベント行政や美術館博物館その他箱物施設の建設だ(これらは 本来は民間が創意工夫すればいいことだった)。しかし、余裕がなくなれば 基本に戻るのが筋だ(経済的余裕が行政に生まれるならその分税金を安くしたほうが筋かもしれない)。本来民間にまかせたほうがいいものは民間に、不要な財産は住民福祉に役立つように売却していくのがいいだろう。そうして得られた余裕は 来るべき少子高齢化社会の備えとする。
ところで私は機会があるごとに「ニート対策」を主張している。みんなが『同じ花』を咲かせなくてもいいのだから、そのひとなりの努力をしたらいい。それなのに、中にはその人なりの花を咲かせられる可能性があるのに、その可能性を奪われていると思えるからだ。自助努力はもちろん大切だが、努力をしても報われない不器用な人や、あと少し「杖」を差し出してあげれば、自分で歩き始めることができる人には「ぐうたら」とか「能無し」とかいわずに、行政が中心となりなんとか力添えをしてあげることこそ「縁の下の力持ち」としての仕事だと思うからだ(昔は、これを地域の力、家庭の力でやってきたことだとおもう。しかし今はそういう共同体の力が戦後弱まってしまった。これは戦後教育の悪いところだろう)。
自分なりに努力してそのひとなりの「花」を咲かせてくれればその人にとっても、周囲の人にとっても、地域にとっても、ひいては群馬全体が住んでよかったと思われる県になる。私は 行政は、みんなのお金で、みんなの福祉を最大にすること、そのための「縁の下の力持ち」だと思っている。だから「葉っぱの裏側にも光をあてたい」と主張してきたし、その結果、みんながその人なりの「自分の花」をこの群馬で、そして群馬以外の世界に羽ばたいて咲かせてもらいたい。


赤飯とウドの煮物

シバラクぶりに自宅へ早めに帰宅。
玄関に箱がおいてあり、あけるとお赤飯とウドの煮物。
何方からの差し入れかと探してもメモも入っていない。
妻と娘と三人で美味しく頂きました。
食べながら、・・さんかな?・・さんだろう?などと推理しました。
モシカシテ間違いだったら、もう返せません。


待ったなし!「右肩下がりの社会に備えよう」 vol2

「人口減少は群馬における、一大転換点なのである。」と書き込んだ。関連して続きを書きたい。
先日の委員会で知事室長が合併問題でも道州制への見識でも知事と同様のベクトルであることを書いた。後藤氏の見識が知事の補完であるなら残念だ。自己抑制することなく自身の感じるままを知事へ具申するべきだと、委員会で私は後藤氏へ伝えた。私は彼が知事とは別の視点で県政方向を示し、二人で議論することが補佐官の仕事であると信じている。同じベクトルなら、それは宦官の様な追従しかない。そして権力の暴走を助長するだけだからだ。
さて私は先に「絶対権力は絶対腐敗する」と書いた。人権論及び民主主義原理からは、権力集中とその長期化は、腐敗と「政策の柔軟性」を奪う。これは通常指摘されることだ。学校でもそう教えるとおりだ。だから、私は片山知事の発言を引用しつつ、「知事職の多選の禁止」を訴えた。そして持論では3選まで、ないしは「権不10年」というように、10年を区切りと考える。
この「時代の曲がり角」で日本人が経験したことのない政策転換をしつつ、将来の安心を創造する仕事に全力で打ち込むには、普通は人間の気力体力が続かないと考えるからだ。首相でも5年、大企業のトップで10年以上やる人はほとんどいない。気を抜いてやるなら惰性でできるかもしれないが、それは民選の知事としては、住民ひいては民主主義に対する愚弄である。
そして、この大転換点では、その政策の担い手は、旧来の政策を推進することに慣れてきた人はふさわしくない。だからいうではないか。「新しい酒には、新しい酒袋」と。小寺さんは、優秀である、それはよくわかる。しかし、優秀だからこそ、「人口増を前提とする社会で生きて、主要な施策を展開してきた元官僚」では、その従来の思考の延長線上から「逸脱」できないのである。
時代が大きく変化するとき、従来の政策からの「逸脱」「脱皮」が求められる。それが『生きる』ということだ。進化論もそうだ。『明治維新』は、旧来の施策を推進してきた幕閣にはできなかった。明治維新なくして、近代日本はなかった。
この群馬でも、これからの「右肩下がりの社会」という時代の転換期で、大胆に政策転換するには「政治の脱皮」が必要だ。私たちが、この群馬にこれからも「安心して暮ら」していくには、今、余裕のあるうちに『新しい袋』で政策転換を図っていくしかないとおもう。
だから、「群馬発、自由自治元年」なのであり、その基盤は、「多選禁止と県内分権」である。とりわけ政令市をつくり、身近なことは県を通さずに処理できるようにしたい。県は、その余力を、来るべき人口減少高齢化社会に備える政策推進に注力し、政令市以外の地域の全力サポートと、政令市との協同にあたる。
<小寺知事、後藤知事室長の二人が合併不関与のスタンスであるならこの大きな構想は示せない>
時代の変わり目では、死んでもいいという気持ちで事に当たらないといけない。
最後になるが、今回私は、人口減少への備えをかいた。機会があれば、人口減少による、ゆとりの創造についても述べてみたい。
今群馬の人口比率は可住面積あたりでは、日本の平均で1600人から800人(人/K㎡)。これが2020年に高齢化率が30%を越えたころから2030年高齢化率が3分の一を越えるころには、800人から400人と、今のドイツ並みにるという。現在、その比率の地域は北海道。しかし群馬は寒くない、温泉も豊富だ。その群馬が人口では北海道のイメージになる。群馬に住む人に「群馬の自然の恵みを享受してもらいたい」というのは、そういう前提で施策を推進したいということだ。群馬に生まれた人、群馬に来て群馬が好きな人、そしてこれから群馬に来てくれる人、みんながそういう「やすらぎ」を群馬で感じてもらえるようになってほしい。
都会に近くそして身近な自然に親しむ、そういう安らぎのある生活を自分が死んだ後の人に残したい。
そのために今、全力で、これからの10年「右肩下がりの社会」に備える政策転換が必要なのです。私はそれを強く訴えて行くために新しい政治のステージで活動を行わねばならない。


合併協議会でこの問題が話しあわれなかったのでしょうか

この記事が事実であることを前提に言えば、なぜ、任意団体として上手くいっており、事務所は伊勢崎市の施設「産業振興会館」(同市境新栄)内にあり、光熱費や水道料などを含め無償提供程度の支援しか受けていない団体を潰すようなまねを行政が行うのか、私には理解できないです。
行政はこういった団体に不正がないかどうか監視することは一定のルールを基に(裁量は駄目)行うことは必要でしょう。わざわざ自立心をなえさせるようなことを税金使って行う考え方が時代に合わないと思います。報道されている事実以外のことが理由であればまた別の意見もあるでしょうが。
境シルバー人材センター」にエールを送るべきですね。


伊勢崎シルバー人材センター:境支所を20日開設 住民に混乱の恐れも /群馬
◇地区に二つ併存
伊勢崎シルバー人材センターは6日、境支所を20日に開設することを明らかにした。昨年1月に伊勢崎市、赤堀町、境町、佐波郡東村が合併し、4市町村のシルバー人材センターも統合を進めてきたが、「境シルバー人材センター」だけが統合を拒否したままになっていた。新支所設置で境地区には二つのシルバー人材センターが併存する異常事態になる。ほぼ同じ名前のセンターが二つあれば、住民に混乱を招く恐れがあるが、解決の糸口は一向に見えていない。
境シルバーは旧境町の認可で99年に発足。現在、旧町民を中心に約200人の会員がいる。厚生労働省の「1市町村1シルバー」の指針に則り、4市町村合併に合わせ、シルバーの統合協議を開始。昨年4月に旧境町を除く3市町村が統合して新・伊勢崎シルバー人材センターが発足した。
その後の協議でも境シルバーは「独立採算と人事権の確保」を一貫して要求してきたため、今年1月、伊勢崎シルバーは「この条件では統合にはならない」として、協議は完全に決裂した。境シルバーの羽野順一専務理事は「会員は私たちに付いて来ている。(人事権など)現体制が維持できなければ、会員に迷惑がかかる」と軟化の兆しを見せていない。
伊勢崎シルバーは「一日も早く(境シルバーに代わる)全市一体の受け皿をつくる必要がある」として、支所設置を決定した。今月16日には開設を告知するビラを境地区全戸に配布し、住民の理解を求めていく考えだ。
すでに境シルバーは県、市から補助金交付を受けない任意団体になっている。だが、現在も事務所は伊勢崎市の施設「産業振興会館」(同市境新栄)内にあり、光熱費や水道料などを含め無償提供を受け続けている。同市は「任意団体にこれ以上、サービスを続けるのは公平性を欠く」として、境シルバーに30日までの立ち退きを求めている。
これに対し、境シルバーは「これまで町の社会福祉に貢献してきたのに、立ち退き要求は全く理不尽だ」と、応ずる考えはなく、立ち退き期限の延期も求めていない。シルバー人材センターを管轄する同省群馬労働局は「もう一度統合の話し合いをしてもらいたいが、統合を強制する法的根拠はない」と静観するだけだ。【杉本修作】


■ことば
◇シルバー人材センター
高齢者の知識や技術を生かし、地域社会に貢献することを目的に、原則60歳以上の会員に短時間(週20時間、月10日程度以下)の仕事を提供する団体。会員の仕事量に応じた報酬として「配分金」を支払い、仕事の発注者から得る「受託事業収入」と会費で運営される。自治体からの認可により補助金も交付される。
6月7日朝刊
(毎日新聞) – 6月7日11時2分更新


待ったなし!「右肩下がりの社会に備えよう」

知事特命事項担当知事室長へ、いかなる特命を拝命しているのか確認した。国際対応と地方分権問題、そして知事の代理での全国知事会などへの出席との事だ。知事のアドバイザーであり、自身の評価より知事への評価が大事だとの事。私は、特命事項に右肩下がりの社会への対応が必要だと考えている。
明治元年(約3400万人)→100年後の昭和52年(1億人を突破)→2004年が人口のピーク。
今後の予想:2040年1億人を割り込む、2100年人口は4000万人を割り込む。
去る6月2日、高齢社会白書によれば、65歳以上の高齢化率が20%を超えたことが報道された(予測では今後39%まで急激に上昇するという)。そして日本の人口は2004年の約1億2700万人をピークに去年から減少に転じたことも周知の通りだ。
明治以来今まで『人口増加に備える』という前提で政策が進んできた。ここで振り返れば、日本の人口は明治初年約3400万人だったのが、100年後の1967年(昭和52年)に1億人を超えた。100年で3倍になったのである。この急激な人口増加が日本の発展を支えたし、道路や鉄道下水道などの政策も常に追いつかない「過剰人口」に備えることであった。
しかし、これからは人口が減少し、加えて高齢化率が上昇していく社会なのである。イメージしてほしい。2030年には高齢化率は33%、人口は1500万人以上減り、今居る若者が3人から2人になるという感じだ。どうするか?手をこまねいて入られない。そこで、冒頭に書いたように、待ったなし!「右肩下がりの社会に備えよう」である。
ところで、今後人口は減るが、経済成長は人口増に伴うので、2004年が人口のピークであるということは、経済のピークはそれより遅れてくるということになる。具体的にいうと、国民所得は2008年がピークで、人口が減っていくため、1人あたりの国民所得のピークは2014年というのが今の予測だ。つまり、人口はピークアウトしたが、あと10年くらいは経済成長は落ち込まない。
ここが注意したいところだが、人口減の影響はすぐにでないからといってのんきにしていると、ある日突然その痛みが襲ってくるのだ。だから、心構えはいわば猶予期間があるということだ!その猶予期間は、これからくる「右肩下がりの社会」に備えるには今から10年位しかない。まだ気持ちが楽なうちに、体力があるうちに、子供や孫のために政策のあり方を『人口減少』を前提にしたものに転換していく必要がある。
つまり、人口増加を前提にした政策等、無駄を削り、必要なところに重点配分する。具体的には、急速な高齢化に対する施策、予算を社会保障にシフトする。他方で、人口減少の中で、循環式社会をめざしつつ活力を維持する施策をうつ。2007年問題といわれるように、いわゆる団塊の世代が地域社会に戻ってくれば活力再生の受け皿も必要だ。これからの「夢と安らぎのある群馬」の担い手は、維持費がかかる「箱物」じゃない!まさに一人一人の人間、そして地域社会に行政は目を向ける。その人間力が、これからの「活力と安心の源」となる。
そしてわが群馬は、都会に近く温泉をはじめ自然が多い。この観光資源を県民生活の充実に活かす(何も観光客ばかりが大切ではない、住民が自分たちの周囲の自然を好きになり、そこで安らぎを感じてもらえるのが先決だ)。要するに、群馬に住み人の「未来への安心」への投資と重点配分だ。
これは、群馬における、一大転換点なのである。