>◆5月21日葉山芸術祭企画 芸術祭を作ろう!会議 で
>前橋美術館構想に対する私の考えを意見発表できるかとの問い合わせを頂
>きました。そしてメイルには「美術館に代る文化や芸術による市民力の向
>上にとっては如何な)る文化芸術構想が好ましいかも話して下さい。」。と
>あります。
との私の日記に対して、以下の意見を直接メイルを頂きました。
私の意見を申し上げる前にまずは引用して、議論の出発にしたいと思います。
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(前略〉
近代(戦後)日本は日本文化を切り捨てることにより海外文明を取り入れ各地方に育った文化は廃り特に群馬県は私も全国を回ってみてもこれほど文化の低い県は少ない県になってしまっています。一度切り捨てた文化は元には戻りません。
そこで前橋美術館構想を一度お聞きしたいと思っていますが、
その前に群馬県立近代美術館がどれだけ県民に文化教育を行ってきたか
悲しいかなまったく結果が現れてきていません。
(立地条件の悪さもあるでしょう)
ヨーロッパの美術館と日本の美術館は雲泥の差があります。
日本の美術館からでは芸術家(美術)は育ってくる環境にはありません。
どうも日本は海外の外見だけをまねをして中身(哲学をまったく学んでおりません。
箱物と美術品を納めるのが美術館でない事を日本人は理解していないようです。
私も美大を出て40年、芸術(美術)活動を
前橋に根付かせるべく頑張って着ましたが力及びませんでした。
芸術とは表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。美術、文芸、音楽、建築、演劇などを指すと辞典にはあります。語源の起源は「よい技術、美しい技術」という人が生み出す物で決して現在のような機械的文明ではありません。教育に寄る長い時間をかけて人が人を教育する中に芸術(文化)の種が生まれ育って行くものです。
今回の大災害を見ていても政府は何の指針も今もって示す事が出来ません。
まさしくこの国は文化が育っていない事を示します。
話を始めに戻しますが経済が落ち込み村おこし町おこしで芸術を取り入れ芸術祭やビエンナーレを開催する事は決して悪いとは思いませんが私から見たらそれらのイベントで人々はその期間だけ人は集まるかもしれませんが終わった後に何が残るのでしょうか。
私達は日々生きています。
芸術は人間が生み出すものです。
日々努力し考え産む苦しみの中から人の心を打つ作品が生まれてきます。
そして又見る側・受け取る側も語学と同様に学んでいなければなりませんね。
最後にルーブル(そのほかの美術館も含め)では)美術館では小学生から美術館の中で本物の作品の前で授業が行われています。
・・・・・・・・・・・・・後略・・・・・・・・・・・・・・・・・
私が感じる範囲ではこの方の意見は私の思いと同質のものと感じます。
つまり「美術館という箱を作ることだけでは、文化は育たない。」との指摘と思います。
「私は箱作りより人作り」と主張し、
この方は「人を育てる美術館運営を・・」との指摘なのだと思います。
政治が文化を語る上で大事なことはソフトパワーです。
しかし政治にはそのソフトパワーを扱える蓄積がありません。
箱は建設業者へ発注すれば完成します。
しかし美術館の持つ機能
1展示
2収集・保存
3研究
4教育
5作家支援
の全ての機能は箱ではなく、人によるものです。
学芸員と一言でいいますが、大きなマンパワーが必要です。
例えば
1収蔵品を如何に展示するか?
ただ作品を壁に飾るだけの作業ではありません。
つまりマンパワーなくして美術館は存在しません。
そしてマンパワーを育成する美術館でなくてはいけません。
展示という作業だけでも「自己を表現する力」が必要なのです。
そのような人材が役所の中に多数おられるとは思えません。
私は「美術館を建てる前に、芸術を担う人材を育てるべき。」と主張するのです。
美術館の建設を譲歩しても
「美術館は芸術を担う人を育てる機能をもつべき。」と考えるのです。
その用意もなく、「ただ収蔵品があるから展示場所を作ろう。」との理由や「県庁所在地で美術館がないのは前橋だけ。」との理由での建設はあまりに拙速であると考えます。
もっと根源に戻り、
・小中学校教育での芸術活動の充実
・郷土の歴史文化、伝統行事への理解
・学力以外に表現する力を学ぶ教育
・経済的な芸術活動への支援
・芸術活動を学ぶ子供への奨学金制度
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から始めるべきと思うのです。