朝日新聞“前橋における税滞納整理”についての記事http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=1000000100818...
を読みました。
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景気低迷で税収の減る中、前橋市は税の滞納者の財産の差し押さえる姿勢を強め収税率を上げている。税の最大原則の公平を保つためだ。
だが、「これでは生活できなくなる。」との滞納者の悲鳴も聞こえる。国民の義務化、生きる権利か――(木村浩之記者)
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と見出しに書かれている。
前橋市に対比する形で埼玉県桶川市の収税の取り組みも取材が記事になっています。滞納整理に関して2市の対比は多くの読者に行政運営の質の違いを伝えたことだろう。前橋の厳しい滞納整理によって税の未収を防ぐ方法と一方、滞納者に多重債務者が多いことからその債務問題解決を応援することで収税率を上げた桶川市。
「税を払う人と払わない人の不公平は放置できない。」
確かに前橋市役所のコメントは否定できない。当然のことです。
しかし一方、「税金を払えず申し訳ないと思う。でも払いたくても払えない。行政は生活実態にまで目を向けてほしい」との声もある。この女性は、住民票を前橋市から別の市に移したと記事は伝えている。 払いたくても払えない。この暮らしの実態を市が如何に把握するか?その作業に手間を掛けるか、手間を惜しむか?が問われているのではないか。
いま、小泉構造改革以来、われわれの暮らしが底なしに崩れている観がある。企業も家庭も共に暮らしを支える力を失った。貧困の拡大こそ今の日本を蝕む危機の元凶です。かつて皆が貧しかった時代の貧困はもっともっと厳しかっただろう。でも当時は、皆が貧しかった。その分家族が・・・社会が・・・皆で支え合っていた。政治も救貧を優先してきた。今あるのは見せかけの豊さの中で政治や社会から放置された貧困だ。その質は全く違く。
ここまで書いて、思い出したのは、NHKの番組で放送されている「マイケル・サンデルの白熱教室」で語られるジョン・ロールズの正義論だ。今私のデスクに県立図書館から貸し出していただいている1979年の第一刷発行の「正義論」が置かれたままになっている。
彼の著作を説明する能力は私にはありません。ただそのうちに一文は私の考えを肯定するものだと信じている。それは「格差原理」と彼が呼ぶものについてです。
私はこの言葉をこうに理解しています。「恵まれたモノは、その能力や資力によって得た利益を、恵まれない人のために使うことを条件に自由に利益を貰える。」と。
つまり、「儲けの何%は寄付するとの社会の決まりがあれば、能力のある人は遠慮なく儲けなさい。」
私はこの「社会の決まり」を税だと思っている。
社会をよくするために、住民が負担し合うという税金のことだと感じている。つまり税金は社会を支えるもの。だから社会の底辺の暮らしのためにあると信じてきた。これが、私の「昆虫の森」や美術館、あるいは公立のエリート学校などの施設整備への税の支出を悪だとする主張の根底にある考えだった。
一方、私は私のこの意見に批判を浴びてきた。「金持ちの納税者のために、セザンヌやピカソを購入することは正当だ。」「私はセザンヌを見たい。だから納税する。私はホームレス支援の世話にはならない。」とする批判です。私はこの批判を打ち破る理由を持っていなかった。
しかし私はロールズによって初めてそれを得た。それは「金持ちは自分のためではなく、貧しい人のために納税しているのだ。」という考えです。※私がロールスを曲解しているなら指摘ください。「自分の子弟のためにエリート公立学校ではなく、聾唖学校や盲学校のために納税している。」
と私は考えている。
回り道をしましたが、
貧困は放っておけないことを言いたい。政治の使命は社会を支えることにある。そのためには≪支え合える社会を作る事、信じあえる社会を作る事≫
「徴収できるところからだけ徴収するのでは、公平公正ではない」との
前橋市の説明の裏側には「払っている側の不満」がある事を感じる。
「俺の税が、税を払わない人のために費やされてしまう・・・・」
納税者が悔しさを感じる社会は悲しい。自分のためでなく自分を含める社会のために税を負担しているのではないか。
幸いにしてか?私は納税をしている。その負担の重さに愚痴もこぼすことがある。
だからこそ、私たち納税者を納得させる努力を役所はしてほしい。
「納税の痛みを社会を支えるささやかな幸福に変えてほしい!」
と私は願っている。
「税が無駄に使われる。」この疑念こそ、納税者の真の不満なのだと考えている。
もう一度言います。
小泉純一郎さんは「格差はいつも世もあった。」と国会で答弁した。
政治は格差を解消する仕組みだと思う。言ってみれば利益を分け合う仕組みであり、痛みを分け合う仕組みであり、その結果、富める者も貧しきものも共に生きる仕組みを作ることだと思っている。私の街宣カーに載る看板にも、選挙ポスターにも「支え合える街、信じあえる街を作る」と大書してある。
私の主張は不変でありたいと思う。