ヤマトタケルと群馬 前橋美術館構想に待った
◆母の友人である高校の先輩が訪ねてくださった。
彼岸に亡父の供養に出かけてくださったとの事。
彼と母は「ヤマトタケルの妻(弟橘媛)への思いと、彼女の犠牲の話」についての研究者である坂本喜一さんを通じて知り合い、幾つかのイベントを協力してきた間柄です。
*この話を知らない人のために
「ヤマトタケルは景行天皇の皇子。父の命によりヤマトタケルは東国の平定へと向かった。三浦半島沖と房総半島にはさまれたあたりの海に船出をしたヤマトタケルたちを嵐(あらし)が襲い、弟橘比売は「海神の祟り」だと言った。そして,その怒りを静めようと海に身を投げてしまった。やがて海は静まり,ヤマトタケルたちは上総(かずさ:千葉県)に渡ることができた。」とのこと。
実はこの皇子と弟橘媛にまつわる伝承が群馬県には数多くある。
たとえば、北橘、南橘、吾妻、嬬恋、恋しい(小石)神社・・・
2004年に行われた弟橘媛のコンサートのしおりを拝見しながら、いろいろな方々がこの伝承の継承に関わろうとしている様子を実感した。
その三浦半島での記念事業には小泉総理も参加している。
今年度、県の生活文化部では、「上毛かるたの読み札読本」を制作された。
読み札の詳細な説明や図解が加えられ、群馬の歴史を振り返る助けになると思う。
小学校4年生の副読本としても配布するという。
このほか観光用に資料にもなるだろう。あるいは、県内書店でも販売も可能だろう。活用してほしい。
安中藩の藩士、新島襄や内村鑑三は私が尊敬する人物であるが、彼らのページを多くの少年が見てくれるのが楽しみであります。
残念ながら「ヤマトタケル」は上毛カルタに読まれていませんが、充分の県民の共通する人物だと考えます。
私は、ヤマトタケルの訪れた「毛の国」の時代への興味を沸き起こす取り組みも必要だと思う。
毛の国の群馬は当時、東日本でもっとも文化の輝く土地であったのです。
*同じ観点から。倉渕における小栗上野介の顕彰も行政の支援が一層必要だろう。
◆来年はデスティネーションキャンペーンが行われる。
「ぐぐっと群馬」がその宣伝コピーと発表された。
残念ながら非常にまずしい文句ではないか。
私なら「東国文化のふるさと群馬へようこそ。」「防人のふるさと群馬」といいたいところだ。
商業ベースで踊るのではなく、群馬県の歴史を誇り、それを日本に伝える機会にしたいものだ。
◆弟橘媛の犠牲
この犠牲という考えは苦難の先に平和があるとの精神に顕れではないか?
混乱から平和への移行に必要なことと思う。
そして今、混乱期にある政治にとって、「犠牲」という精神を示す政治の形が必要なのだと感じる。
◆先日、このブログに「前橋市立美術館への疑問」を提示した。
決して、美術館不要論を意味するのはではない。
しかし、「県庁所在地の都市で美術館にないのは前橋だけ・・・」との理由で建設することは意味が無いといっている。
以下に幾点か私の主張の趣旨を張っておきます
・山本龍は誤解されたくないので強調したい
・山本龍は前橋の美術館構想が悪いといっているのでもなく反対でもない
・むしろ応援している、しかし条件がある
・美術館は文化芸術を通じ教育や地域活性化や産業創造へ貢献するべき
・美術館は中身が大事、関わる人たちが大事
・地域の美術館は冷たいコンクリートと作品の収納庫にしてはいけない
・質を保ちながらも広く公開され、参加型のソフト重視を関係者に望む
・十日町市:大地の芸術祭や中之条町、中之条ビエンアーレを昨年数日歩き回りながら思うこと、それは、美術専門家、学芸員、美術作家、それを支える人たちや行政…、人が大事、人が中心そして目的をしっかり持つことの大切さだ
・だから、市長の美術館構想の本当の目的が何処にあるかを監視したい
・美術館を望んでいる人々を、裏切ることは許さない
・前橋選出県議としてこの美術館が全国に、世界に、誇れる、そして数年後には納税者が税金を使ってよかったと 思えるように望む!
・今年は金沢21世紀美術館、瀬戸内国際芸術祭2010の見学を参加者募って行く。
http://www.kanazawa21.jp/
http://setouchiartfest.jp/
・前橋にも中ノ沢美術館(赤城山の南面、前橋市粕川町)
http://www13.plala.or.jp/nakanosawa/
昨年も5月23日(土)から31日(日)まで約一週間。地域全体が美術館になったイベントが行われ、私も中之条ビエンナーレのチラシを置かせてもらいに伺いました。
広瀬側美術館(以前の私の事務所で ある住吉町の隣)http://www31.ocn.ne.jp/~hirosegawa/index.html がある。
先ずは地域の先人の取り組みを確認してから、何をするべきを論じてほしい。








