皆様、こんばんは。
私は本日、50歳になりました。
個人の事柄ですが、「50代突入」の所信をお伝えしたいと考えております。
(とっても何も変わらないですが。)
ただ感じるのは、私の担う役割それぞれで残されて時間が違うことです
家族にとっての私は、まだ担うべき時間は相当残されているでしょう。
幸い子供にとっての父親としての役割は10年ちょっとで解任されるでしょうが、
妻にとっての私、妹にとっての兄としての私、
そして仲間にとって友としての私の役割は人生一杯続くでしょう。
私の政治活動としての時間が残り時間は10年です。
県議会議員を続けるのか知事を目指すのか、田舎の町長になるのか。
その先は不明ですが 最長10年でしょう。
この残り時間では政治の担当者として、私の思い描く社会を実現することは困難でしょうが
それに近づいていく努力を精一杯続けていくだけです。
首長や地方議会における仕事が終わったあとでも、社会での活動は続くでしょう。
私は、特技も芸もない男ですから、大きなことはできなでしょうが
小さなことで小さな社会を支える活動はできるはずです。
人生の選択肢はあまり多く残されていません。
いかも若い時代、その選択肢を自分で設定してきました。
これからは、選択肢は家族の健康、自らの健康、など主体的に設定できない事柄によって迫られることになるでしょう。
ただそれが、人の一生です。
自分で決めてきたと思っていた人生でしたが、実際はそうではなかったと思えてきました。
実は自分ではない理由によって選択を迫られ、自分の意志ではない力で選ばされた道ではないか。
実は出会った人によって、友や師や、進められた本や、偶然知った出来事や事実、その時に起きた事件・・・
私という存在がここにいる理由は私の中にいる人の心なのではないか。
そうに思えるのです。
そして社会にでてから、県議会時代、何よりも知事選挙の仲間、落選してからの仲間。
50回目の誕生日は普段と変わらない一日でした。
ただし、家族とスターバックスのテラスでカフェラテとサンドウィチで
昼食を過ごしました。桜子からキーストラップを記念に貰いました。
母へ産んでくれたお礼の電話を入れました。
「今日は龍の誕生日だったのかい?」との母の言葉。相変わらずの芳江マミでした。
何も変わらない誕生日に思うことは、誕生日だからと特別な出来事を必要としない毎日なのだという幸せ感です。こんなときに思うのは、誕生日を待ちわびた少年の日々です。
努力すれば明日は今日より良くなる。
でも明日も来年も10年後も変わらない、同じ社会に暮らすひとはそんな夢をもつのでしょうか。
だから私は、私の人生の役割に追加します。
幸せな人間が、社会においてしなければ行けない責任を果たすという役割です。
たぶんこれは私の命の期間中、ずっと果たす役割になるでしょう。
みなさん、これからもよろしくお願いいたします。
りゅう
