【個室ビデオで宿泊し 借金で戸籍を売る暮らしへと転落した小川容疑者が自暴自棄になっていた可能性もあるとみて、詳しい動機を追及している。】とのニュース。
たくさんのかたが家族や友人の死に悲しんでいるのでしょう。
大事な人がなぜ死んだかも理解できないでいるはずです。
一方、犯人には家族がいるのでしょうか。
いろいろ考えます。レストボックス、インタネットカフェ、ビデオ鑑賞店。支えあう家族を失くした中年の男たちがここで一夜を明かしている。
社会のセーフティーネットが脆くなって、人々がどんどん
社会のそこへ落ちていく。
誰も手をのばして引き揚げることもできない。
ただ見ているだけ。
底辺に落ちた人が社会へ牙をむして襲いかかるときに
初めて、彼らの存在を社会は知るのですね。
よく見てみれば、多くの人が続々と断崖の端まで追い詰められています。
なんとかしないと。と私は思います。
「自分で好きにギャンブルに狂った殺人鬼は問答無用だ」との意見をよく聞きます。そうかもしれません。
でも例えばギャンブル禁止を議論しない政治は次の殺人を助長していると感じてなりません。
公園を住所して生活保護申請したホームレスは住所として認められませんでした。このホームレスの人が犯罪を起こせば、犯罪の原因の一員に行政の対応があったと考えることはできませんか?
隣近所の連帯はすでに崩壊しています。
最後の綱である家族すら崩壊寸前です。
もう、公的な助ける仕組みをもっと力強く築いてほしいと願います。
異論はあるでしょうが、わたしは「社会が犯罪者を作った。」と思います。
この言葉は映画「告発」のなかで殺人犯を弁護する俳優が述べる言葉にあるます。
お腹を空かした妹の為にわずかなパンを盗み、投獄された主人公(ケビンベーコン)は、
刑務所で所長や看守に残虐に扱われた。しだいに彼の人間性は崩壊して行く。
ついには刑務所内で殺人を犯してしまう。
そして看守たちによる虐待による人間性を失ってことが殺人の原因と知った弁護士は
「アルカトラズ刑務所が彼に殺人を犯させた。」と弁護するのです。
家族、地域、企業、社会保障、教育。いろいろな社会のアミを強く張りなおす。
仮に落ちても再チャレンジできる仕組みをつくる。
少なくても政治は犯人を鞭打つ前にすることがある。私はそう思うが。ご批判を乞う。