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よき人の人生から自分の人生をイメージする。

この数日たった一週間に、私は人の命について考える出来事に何度かぶつかった。

駆け出しの秘書のころからの友人Mさん
(彼は長い癌との戦いを一度も痛いと言わず戦い終えたと彼の父上が葬儀において満座の弔問者に言われた。
夜パソコンがフリーズすると、軽トラックで来てくれる。
キノコ栽培で黒くなった指先がキーを叩く画像が残っている。
小学校のパソコン教室から農家組合の活動など朗らかな人柄)

片品村の林業のパイオニアHさん
(お世話になった先輩議員の父上、葬儀の受付で配られた略歴には尋常小学校卒から事業を起こし
村の産業界をリードした実績が伝わる。
しかし何よりも、人間の凄味を感じた。弔辞や喪主の挨拶から届く、故人の人間の凄味に圧倒された。)

小渕恵三代議士の兄さん(年も違うし立場も違うが、ともに代議士の政治活動を支えたという面では
同志という感情を持っている。
事業家としても、町長としての様子は知らないけど、家族に政治家を持つ緊張感を持っていた。)

議会の同期のKさん。(友人から朝の6時に電話が鳴った時、不吉な感じがした。
自宅に横になった彼の姿からは休息モーロになっているのに、
カッコよさを感じた。慎ましい、抑制された暮らしぶりの中に政治家としての意思を感じた。)

そして私の父方の祖父と祖母の50回忌、
(もちろん何の行政も社会的な地位もなかったが私の父と叔母たちを育ててくれた人たち。
私の誕生以前に他界しているために私には直接の思いではないが、よく両親が話すので姿は知っている。)

読経を聞きながら、その時間は故人のことを考えてみる。それが死者への礼であると考えている。
故人との付き合いがない場合は弔辞の中から人物を想像してみる。
すると自分の人生の最後と重なって行く。
私はどんな形で人生を終えるのかを予想してみる。
よく武士が自分の凄惨な死に方を描くことで死に慣れる訓練をするという。
「死ぬことと見つけたり  隆慶一郎 新潮社」という作品に描いたあった死へ恐怖をなくす訓練方法
私は人の人生の形を感じながら自分の生き方を誘導しているのです。
何時からか葬式での私の習慣になっています。
この一週間でのそれはいつもよりもとっても具体的な生き方のイメージを与えてくれました。
今、仏として私の前にある人の人生を感じながら私は如何にあるべきかを夢想すること。
「山本龍はどんな男だったと弔をもらいたいのか?」
「あいつは、自分を計算に入れない馬鹿な男だった。」と私は言われたい。
などと想像しながら私のこれからの人生の形を考えてみました。

一から出直しですね。

一番身近な人の暮らしの現場を山本龍が支えられるか

閉塞した地方政治に新しい挑戦の息吹を吹き込めるのかを試されています

当たりまえのことを当たりまえにすること。

なんでこんな当たりまえのことができないのでしょうか?

なんで政治は遠くにいってしまったのか

けして難しいことではありません。でも今の政治には難しい。

だから全部を捨てて

一歩下がって

一からの再挑戦です

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2008年06月02日 23:37に投稿されたエントリーのページです。

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