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靖国参拝

朝からバスで友人と小旅行です。
伊勢崎のもんじゃと月島のもんじゃ焼の食べ比べに
隅田川の屋形船に乗って、月島もんじゃを頂きました。

そして靖国神社へ
しばらくぶりの参拝です。
神社の脇の就遊館もきれいになっていてビックリ。
ちょうど私の見学の合わせるように、「平和を…の会」と腕章をつけられた説明のボランティアの方が団体の方を案内されていました。
『父は慰安所で性の処理をしていたことを母に語っていたことから、罪悪感はなかったのでしょう。敗戦と同時に写真も記録も燃やしている。その時のたき火の煙を今でも思いだす。それからは父は戦争のことを語らなかった。」と。私の耳に聞こえてきました。

負けた戦争の責任?

以前にここにも書きましたが
国家や戦争指導者のメンツのために撤退もできず、過酷な戦場へ送られた多くの兵士の死。

そしてたくさんの民間人の死。
それは日本人であろうとアメリカ人であろうと、アジアの人であろうと悲しさは同じです。原爆の怒りを投下したアメリカに感じます。でも
その原因をつくた日本の戦争指導者にも感じます。

もちろん兵士の死に名誉を感じない筈はありません。
分厚い装甲に守られた兵器であろうと桜花や回天のような自殺兵器と同じように死と隣あわせです。常に死を覚悟する兵士に敬意を感じます。
それは現代の自衛官や警察官、消防士とおなじです。

問題を感じるのは、戦争を決定する、そして遂行するメカニズムです。

あの当時、北のソ連の侵攻に怯えて満州を巨大な塹壕にしたかったとの意志は多くの指導者の認識だったでしょう。
あの当時、近代化する為には、植民地政策は必要な条件だったでしょう
でも当時、日本には議会がありました、宣戦布告の決定権がどこにあったかは知りませんが少なくても軍事費は議会で議論されたはずです。
残念ながら私は当時の憲法をしりません。


私たちは破れ『過ちは繰り返さない。』と誓いました。

だから繰り返さない為に新しい仕組みが必要です。

その仕組みの一つは
現代の知恵によって領土や資源、植民地という市場から解き放たれた、新しい経済の構築です。
今日、支配地域を拡大することに意味があるとは思えません。
国土から1000キロも離れた岩礁の領有権を争って戦争をする意味があるとは思えません。
(たとえ経済水域の拡大によって地下資源が確保できたとしても。その分、地下資源を必要としない経済を目指すべきです。地下からエネルギーは取らないというスウェーデンのように。)

もう一つは
戦争を阻止する民主主義を強力にすることです。

さらには
人々がひとりひとりが考え行動することです。
アルゴアのいう「理性の奪還」です。

なんてことを考えながら、バスでビールを飲みながら
あれこれと考えていた龍でした。
バスのなかで仲間たちともっとばか騒ぎしてくればよかった。

ps
チベット問題を考えると、未だ中国は日本の戦前のステージにいるようです。
先輩として教えてあげなければ。

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2008年04月27日 20:41に投稿されたエントリーのページです。

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