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熊本県の蒲島郁夫知事は24日、選挙公約だった自身の月給(124万円)を100万円(約81%)減額する条例案を県議会に提案し、賛成多数で可決された。月給24万円(税込み)は、全国の知事の中でも突出した最低額。毎日新聞より抜粋
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知事の退職金廃止条例を公約し群馬県知事選挙へ県議会議員を退職して出馬、落選した経験から一言
国会や知事の報酬の巨大さは、市民の生活感から見れば異常に見える事に賛同は得られると思います。そこに生活と政治の遊離を市民は感じ
「議員定数は減らせ。」という意見が出てくるのです。
この知事の行動を「パフォーマンス」と批判する事は簡単です。
でも私は、「志」や「覚悟」の表現方法として捉えるべきと思います。
私は自らの報酬を捨てることの意味を2つの要素で考えます。
1つ目は「志」です
給料が少なくて汚職が心配
→多くたって志のない政治には汚職はあります。
経済的に貧しい人は選挙職に就任できない。
→では給料が多いので選挙に挑戦するのですか?
社会を担うという志こそ政治を目指す動機です。
当選すると選挙職以前の収入の何倍もの報酬が必要でしょうか?
一期4年で4000万円もの退職金は48か月で割れば80万円です
1日2万円の退職金が必要でしょうか?
人生の一時期、お金よりもやりたい社会活動があるなら
少額の報酬であってもやってみたいという志があるなら
たくさんの人が選挙に挑戦できるはずです。
皆さんの近くにも、ボランティアでも社会活動を行っている人もいるでしょう。
お金だけが満足の基準ではありません。
難民キャンプで活動中の日本人に出会いましたが、
彼は国際機関の支援の不足を嘆きましたが、自分の報酬には嘆きませんでした。
私の政治の恩師である故小渕恵三氏は
「金が欲しいなら家業を継げ、休みが欲しいなら勤め人になれ。
政治は金もいらない休みもいらない人間にしかできない。」
と大学4年生の時に書生になった私に言いました。
2つ目は「政治家の覚悟」です。
行財政改革をなしとげるなら、自らの覚悟を示すべきです
社会の痛みを解決するなら痛みを感じるべきです。
役人と政治家の違いは自らを切れる覚悟です。
何年何十年と続いて来た特権が今や当たり前の既得権になりました。
まずは「隗より始めよ。」です。自らの特権を切れない人間に行財政改革はできません。
だから私は知事退職金の全廃を公約し立候補しました。
都道府県議会議員年金は三期満了が支給基準ですが、満了前に退職したのも積み立ての半分を公費から支出される議員年金への特権を捨てたかったからです。
トップが既得権に浸かっているなら、組織も同様です。
また日々をやりくりする有権者のくらしから遠い存在になるのです。
政治家こそ、有権者の代表であるはずです。
最後に
「志と覚悟があっても、生活を維持できないから選挙に挑戦できない。」という事実があることも承知しています。それでも現在の国会議員や都道府県知事の報酬は異常です。
(議員職の場合は一人で「私は削減します。」とはいきませんが。)
問題を解決する方法は、給与の多寡ではありません。
・もとの職に復職できる仕組みなどの社会システムの整備ではないでしょうか?
(この場合自営業は難しいでしょうが。)
・選挙資金の規制や、公費助成も必要でしょう。
(本来国会議員などは公費助成以前に政党からの公認料や政党助成金からの
活動費支給などが行われておりますが、地方政治の選挙職にはありません。)
・選挙広報やテレビ討論などのメディア利用の拡大
・インターネットの選挙利用への規制撤廃
・立候補者への行政情報提供(現職だけが情報をもっている。)
・有権者が金のかからない選挙を志向する。
・有権者自身が候補者の情報を自ら取得し、自ら判断することです。
・マスコミは候補者のマニフェストの対比、現職マニフェストの達成度などを広報をする
・地方政治の場合、候補発掘の機能を持つローカル政党が根づくこと
などの選挙の新しい仕組みも必要なのでしょう。
つまり多くの志のある人々が選挙へ挑戦できる環境ができることが
市民の生活感に近い政治を作る一歩です。
それがなしえれば、バスで議事堂へ通う議員、知事公舎ではなく県庁のソバの賃貸マンションから歩いて通う知事が全国に広がっていくとおもいます。