

今日は日曜日。
しばらくぶりに夫婦で食事をしました。
前橋協立病医院の近くのベーグルサンドのお店です。
昨年、遊説中に偶然見つけて、美味しかったお店です。
妻も気に入ってくれたよう。聞けば草津の私の友人の友人だとのこと。偶然もありがたい。
偶然ではなく、必然なのでしょう。感謝です。
大雪の日は腰が痛いです。出かけの短時間に慌てて雪を退かします。結構きつい労働です。
雪国に住む者の務めでしょうね。でも早速、さくらこが幾つもの雪だるまを作っています。
明日、踏まないようにしなくては。
でも確実に春は来ます。私にもまた春が来ました。
庭の隅っこに花が咲きています。ルーカスがにおいを嗅いでします。彼の頭には、黄色い美味しいものかの確認が必要だったのでしょう。
モウすぐです。春は来ます。落選したときは、ずーっと冬が続くような気がしたけど、春は来ます。
この私に来たのだもの。誰にも来ます。春を待つ気持ちを持って前進することが大事なのだと思います。
突然の不幸に、春を感じる余裕すらない人がいるのです。千葉の勝浦なら、きっと菜の花が咲きだす季節でしょう。
その春の半島に暮らす家族が突然の不幸に襲われました。
船長さんと息子さんが早く見つかれば・・祈りましょう。
この衝突の問題について法律の専門の友人から指摘された。
一方的な被害者側である漁船優先の思考にはまる危険を指摘された。
なるほど、いろいろな視点で、局面を見ることは政治家としての能力だろう。
ミクシーにおける私の書き込みへの友人の指摘に、視点の置き方への未熟さを感じた。
私がまだ感情をコントロールできない幼稚さを反省する。
でも私は、「右舷側優先」という教条主義だけで漁船擁護をしているのではない。
右から来れば、何でも優先ということも無駄のあることでしょう。
大事なのは、ルールは尊重しながらも、相手を思いやる運用も必要ということ。
「デカイ奴が大変だから、俺達が一寸遠回りしてやっか。」
「ちびが怖がっているから、そーっと行こうぜ。」
とお互いが相手を思って行動することは大事なこと。
今、日本の社会で一番足りないのが、“デカ”が“ちび”を思いやる心でしょう。
おえらい役所の巨大戦艦が偉そうに通りすぎるのを土下座で待つ風景を私は想像して、腹が立っています。
この怒りは論理的な説明では、片づけられない。
大蔵省のノーパンしゃぶしゃぶの事件への怒りと大差ない。
選挙への駆り立て、今も活動できるのはこの感情だから。
>単に「被害者」側に立てば正義ということにならないでしょうか
そうかもしれません。でも私は
単に弱い側にたって行動することが私の人生の選択です