明後日。21日午後7時より高崎市金古にある「やすらぎの湯」にて群馬大学長の鈴木学長による
「重粒子線学習会」です。ご都合の付く方は027-219-1005まで
ただし、お風呂に入る方は実費です。
さて、前橋市長選挙も終了した。このことを書くことは説明責任です。
私個人が推薦した候補が当選することは出来なかった。
残念な気持ちであるが、有権者の判断を尊重すべきだろう。
私の今回の態度について、疑問や批判がある。
では他の候補を推薦するべきだったのでしょうか?
それとも無関与の立場をとるべきだったのでしょうか?
幾つかの首長戦でも信頼する同士を支えて戦いました。
得だから、当選可能性が高いからの判断はありません。
私の精神の価値観です。
つまり私の尺度である、「龍の正義感」から判断しました。
ただ何も得ないことはありません。多くの学びました。
そして誰にも彼の政治活動を支える仲間もいること。
候補が立つ場所が選挙の形を方向つけていること。
自分と比べてたくさんの違いがあること。
その中で最大の学びは、以下のことを実感したことです。
・マニフェストは公開が当たり前、中身の判り易さと根拠が重要である。
・公開討論会や街頭演説、集会における表現力と説明力が重要である。
つまり今後の選挙において、マニフェストと候補の訴求力が重要である。
これからの選挙の勝利を目指す方にとって、自分の主張を理解して頂く能力なしには選挙では勝てないと肝に銘じるべきでしょう。つまり発信力と分析力でしょう。
私はそれをキャンペーン・リテラシーと勝手に名づけていますが。
(literacyリテラシーとは、原義は、読み書きの能力のことで「ある分野の事象を理解・整理し、活用する能力」)
主張を訴える訴求力において現職候補がアドバンテージを持っていた観がある。
さらにはお互いがマニフェストを他候補のものと差異を明らかにしなかったことです。
もちろん政策の優先度には違いがあれども、方向性が似通っていることが多かった。
これは挑戦者の側が、現体制へのアンチテーゼを行わなかったことによるのだろう。
つまり、争点は、候補者の人格であり、どちらが信頼にたる候補科の選択を有権者に問う選挙と位置付けたからだ。
人格を問う選挙は当然個人的な問題点を有権者に知らしめるアクションを引き起こす。
もちろん、個人的な欠点はリーダーの資質に係わるのだから、投票行動の大きな判断材料になるだろう。しかし、有権者はどんな政治が行われるかの約束を知りたいのだ。
互いが怪文章を非難しあう事で幕開けした公開討論会から、このことは予想されたが
有権者に誤解を与えるようなチラシが散見されたことは残念だ。
「ゴミ処分場が400億円と判断」は「400億円が必要と判断して中止」と書くべきだったでしょうし、「k候補は中学校3年生までの医療費も立替払い方式を行う」との誤解を生むような書き方は問題があったと感じる。
選挙戦後半、ある企業情報誌の記事を引用する形のチラシを見た。
選挙後にマスコミによって事実が確認された「親族の会社による脱税疑惑」が事実である以上,これを怪文書として批判は出来ない。がもっと出処を公表して有権者の判断材料にするべきだっただろう。
争点となるはずだった、
・ゴミ処分場を象徴するゴミ政策、
・行政財政の健全化への手法
・透明性を担保するための手法
などの議論が行われなかったことに残念です。
候補の議論を通じて、町のこれからの形を選ぶと言う選挙の本質から逸脱した戦いになった。
さて選挙結果への感想だが、もちろんキャンペーン・リテラシーの差が最大の要因でしょう。さらには中央政治への不信などの逆風も影響してでしょう。
なによりも4年間の市政を検証し、対案を出すことが出来なかった事実から「このままでも良いのではないか?」との市民の現状肯定を覆すことが出来なかった事も要因でしょう。
最後に「選ばれたのは個人ではなく、政策なのだ。」と当選者はマニフェスト達成への努力を行ってほしい。今回のマニフェストは市民サービスを互いが争いました。
そのことは、市民にとって幸いです。その実行のためには不要な事業を淘汰する努力が求められます。そしてゴミの処分場が自治体負担35億円で実行する。という公約を履行する制約も自ら設定しました。市民サービスの拡大と論戦によって生まれた自己規制とを実現する市政に期待します。