初めて「能」「狂言」を見ました。
高崎能・実行委員会の友人の招待で高崎音楽センターでの夕方の数時間を私にとってはじめての文化体験をさせてもらいました。感謝です。
このような取組を、官庁が直接運営するのではなく、、市民、若者の意志で行うことに大きな意味があると感じました。
頂いたパンフレットにこう書かれている。カッコいいので要約します。
「高崎はたんなる商都ではない。・・・・商人は教養と品位を高めるために謡いと俳諧を競って身につけようとしたようです。現在にその商人の風流の面影をのこしているのが、
このたかさき能です。それを22回も続けていることこそ、商都高崎の心意気だと思います。」
また、挨拶した高崎市長の言葉にも
「文化を発信し続ける都市たらん。」との意欲に溢れていました。
そういえば
「市民力・文化力・・・」と書かれた松浦さんの過去の文章を読んだことがあるが
20年も前から、文化力を市政の課題に取り上げていた事に、驚いています。
「日本人のたしなみとして能にふれてみてください。」とある。
確かに、一生に一度も触れることない日本人も多いでしょう。
でも能が往時の芸能であった以上、衰退も当然あるでしょう。
能は知らないけれど、“キャッツ”や唐十郎のテント芝居が好きな人もいるだろう。
いろいろなチャンネルで、いろいろな体験をすればいいのでしょうね。
大衆が支えなくなった芸能を、大衆から集めた税で支えることよりも
芸能自体が大衆の関心を呼び込む努力も一方では必要かもしれません。
最近、狂言や歌舞伎、雅楽などの世界からテレビや舞台で活躍される人材もいます。
彼らも活躍が本来の伝統芸への関心を呼び込めば、新しい支持層が創出されるはず。
さて今回の演目は源氏物語の葵上が元になっているようです。
私は、源氏物語や奥の細道など古典学習も重要だろうと考えています。
これも日本人としての教養でしょうね。
その当時の日本人が、人間の一生や生活の周りの自然へいったい何を感じて生きてきたか?思考の歴史を知ることも大事なこととおもっています。
こんな体験や思考のプラグが動いたのも、たかさき能のおかげです。
ps
勤労感謝の日。勤労をしていない私だけど家族は感謝して私を連れ出してくれました。
私もしばらくぶりに2日間休みにしました。家族との一泊旅行。娘の成長を感じました。
靴のサイズも妻とおなじ。そして結構、社会の中での教え事にならない人間の気持を体得していることに頼もしさを感じます。