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再出発に向けて。まずは反省から

自転車を漕ぐエナジー、マニフェストを構築する知性、現場への共感の心

『この3つのメッセージをすべての有権者に届けよう。候補者を比べてもらえれば山本龍は選択される。』   これが私の確信でした。
19万の有権者。そして私のメッセージが伝えられた方々の多くが私を選択してくださった。しかし、私たちの活動が触れることができなかった方へは、知名度と組織を選んだ。

私たちの世論調査では、告示以前では、8%台の支持率であり、現職候補の40%と離れていた。

しかし私たちは挫けない。「告示日からが本番だ。」の予想の通り、8%から22%まで支持率を上げることができた。
しかし結果はしがらみ組織の2大勢力のはざまで、存在を鮮やかに示すことができなかった。
・私たちの多選の弊害、官僚主義のよどみ、への主張がいつしか自民候補の主張へ塗り重ねられた。
・マニフェストも自民候補に違いを消された。私の主張は輝きを失った。
(しかし、財源の確保を真正面から発言したのは私だけ。)

つまり
・現職批判の受け皿は自民候補。
・政党しがらみへの批判の受け皿は、現職候補

何をすればよかったのか?
何を誤ったのか?

負け惜しみではなく、
私たちはやるべきことは全て行った。
何も誤りをしなかった。

組織力、マスコミ媒体への露出・・・無い物ねだりはできない。
私たちは、仲間たちの総力でこの選挙を行った。
仲間はポスターを8000か所半日で貼り終え、ビラを配り、遊説計画を練って、集会のイスを並べる。
私は楽しくペダルを踏んで風に向かって顔を上げて走った。
大勢の仲間たちと共にいた選挙の一か月は、素晴らしい、輝きです。

もし落選と当選の境界線を引いた原因をあげれば、告示以前の一年間にあるのでしょう。
一年前の7月1日。館林の立候補記者会見で私は約束しました。
「政治を変える。それには選挙を変える。誰も見たことのない選挙の形を見せます。」
それから、一カ月ずつ群馬県の12市に滞在し、その町村を訪ねて歩いてきた。
少しずつ仲間の輪を広げ深めていった。
でもその輪を組織へ展開する努力を怠ってきたことです。
etc  ○△地区後援会・・・○×支部役員・・・
何故なら
「私の政策や志への共鳴された個人個人が自由気ままに応援してくれる新しい選挙をする。」・・・・その選挙の新しい形への執念があったからです。
この期間中に「役員をしてください。」と私が頼めれば、結果は違っていたのでしょうか?
無理に応援を頼むことで、その人への負担を恐れました。そして、有権者は必ず熱い方へ引っ張られると信じていました。「俺が熱ければ、いいんだ。」との奢り、自信過剰こそ
この結果の原因です。私はそうに感じております。

また再出発です。
でも今度は1人の出発ではなく
仲間たちとの出発です。
楽しい、実りある旅にしたい。と心から祈っています。

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2007年08月20日 23:57に投稿されたエントリーのページです。

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