匠に里周辺を歩いた。
携帯に新聞社からの取材電話。長電話になったので待ちくだびれた同行の仲間がデジカメで・・・
ここは同じ山間の集落だが吾妻と雰囲気が少し違う。吾妻町の坂上か中之条の伊参ならこんな風景がある。それでも山の形、畑の色、蔵の白さ。誰かに指揮されているようだ。何よりも屏風の谷川が違う。
今、毎日歩いている。気持ちがいい。歩き、話し、聞く。
これが1年間の群馬行脚。でも新しい群馬行脚が出来ればいい。
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匠に里周辺を歩いた。
携帯に新聞社からの取材電話。長電話になったので待ちくだびれた同行の仲間がデジカメで・・・
ここは同じ山間の集落だが吾妻と雰囲気が少し違う。吾妻町の坂上か中之条の伊参ならこんな風景がある。それでも山の形、畑の色、蔵の白さ。誰かに指揮されているようだ。何よりも屏風の谷川が違う。
今、毎日歩いている。気持ちがいい。歩き、話し、聞く。
これが1年間の群馬行脚。でも新しい群馬行脚が出来ればいい。
コメント (1)
山本さんの目には、多くの人に「同じ山」にみえる群馬の山も
「ちがうもの」に見えるのですね
それが大切なことなんです
違いが感じ取れる目こそ、そこをよく知ることの証
そういう人こそ政治を行う資格がありましょう
知事というのはことを「知る」=治めるということです
治める対象をよく知らずして、いい政治ができるはずがないことは常識でしょう
それが分からない人が、小寺さんだろうな
目が、住民に向いていない 権力維持ばかりに向いている
党にしか目がいかないのも同じだ
党は何よりも国民と住民のためにある
党のために国民があるのは それは道具国家 共産国家
のこと
党の都合を優先すると、福島のように破れることになる
福島は、タマの魅力もかけていたが。。
投稿者: 内友 | 2006年11月15日 18:58
日時: 2006年11月15日 18:58