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中核市へ知事の権限、財源、人材をセットで移譲すべきだ。

玉村に入って気がつくが、ほとんど市域が前橋伊勢崎と隣接しているではないか。関東平野の自然境界が少ない地域はほとんど人為的な境界によって自治が分かれている。それは本来の住民生活や経済活動とは無縁の境界だ。

高崎榛名との合併も終わり、群馬県最大の人口の都市が生まれた。ここも紆余曲折があった。富士見玉村などの近隣市長村との合併が破談になった理由は「小寺県政が合併に消極的な態度を貫いたからだ。」と断言できる。さらには、この先、中核市を目指す都市への分権(財源・権限・人材)の一体移譲へ小寺県政が大きく舵を切ることはできないだろう。なぜなら権限を知事に集中させたい。という権力志向の県政運営だからだ。

一方私は、県の役割を限定して、市民生活の現場である市町村への分権論者だ。その結果、知事の権限が縮小される事を歓迎している。そして県央と両毛の2つの政令市が誕生すれば、群馬県は解体されることと同じになる。それは道州制が行われたとき、北関東での中心的な2つの都市が旧群馬県地方に存在することになり、北関東における都市ポテンシャルを維持できる唯一の方法ではないか。

もっともこの「道州制」に対しても、小寺知事は不可思議な発言を行っていたことを思い出した。「道州制の定義がわからない。」とのコメントが紙面に掲載されていた。意義が不明なら、ご自身の道州制への見識を表明された如何か?こういう形の道州制なら賛成。これでは反対と表明できないのか。

福島県のスキャンダル知事も道州制反対派だったが、権力を取り上げられる事への反対ではないか。自分を計算に入れない判断をするべきだ。退職金を一期5000万円積み上げるから、欲が出る。給料要らない、退職金もなしなら、自分の権限の分散も出来るのではないか。

コメント (1)

内友:

全く賛成ですね。
権力集中という志向のある人は、大体にしてだめ。
 その人の人間の本質が、自分に本当の意味で自信がないから、だから権力集中して、安心しようとする心的傾向が学問的に検証されている。つまり「人を信頼」して権限をまかせることができないんだな。
 正直言うと、それじゃトップリーダーとしては欠格品・不良品だな。
 原因は、申し訳ないけど、やはり省内競争で落ちこぼれた小寺氏では、コンプレックスが強すぎるんだな。育ちも影響しているだろう。
 それが証拠に、旧自治省で次官経験者や局長経験者が知事になるときに、その出所進退がどうであったか調べてみるといい。
鳥取なんていう小県に「故郷だから」と他の話を断ってでもいった、石破元知事・自治大臣と小寺氏を比較したらいい。

 要するに、人間の「器」の問題だ。器量の問題だ。これは政治家にとって一番大きな問題である。官僚のような能力を必ずしも政治家には要求されない。
 そんなことは小泉・安倍をみていればわかる。要は、人を巻き込んで、能力ある人間を適材適所で導いてきて、采配ができる、これがトップリーダーに一番必要な才能だ。
これを、天才(点から与えられた才能という意味だ)という。

 結論を言うと、小寺氏は、『兵に将たる器』を出ず、『将に将たる器』ではない。
 そんな人間に4半世紀も県の経営を任せられないと思うのは、健全な精神というものであろう。
 小寺さん、反論してみてくださいな、特に、石破氏の件で。

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2006年10月16日 21:43に投稿されたエントリーのページです。

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