吾妻を離れてから百日目に懐かしい選挙事務所のプレハブで旧友の後援会メンバーと再会した。今日は午後4時から高崎の真木病院さんの親睦コンペの表彰式に顔を出して、7時の東毛選対打ち合わせに戻る予定だった。夕方6時からの吾妻の同志が集まる事は承知していたが、前橋事務所から状況報告へ行く筈の市議会のメンバーが伊勢崎の座談会への出席になり、急遽私が行くことにした。7月1日の出発式以来のメンバーに会えるのは嬉しかった。そしてオンボロのプレハブ事務所に入ると懐かしい顔。今年87歳の私の後援会長は、力強く握手してくれた。このメンバーと3回の県議選挙をともにした。
榛名の山道を通りながら思い出した事がある。三度目の選挙のある夜、遊説終了の午後7時55分から5分間、誰も居ない家すら見えない吾妻の山道で街頭演説した。8時の街頭演説終了時間にマイクを切ると、真っ暗な山々から懐中電灯を振る光の輪が見える。別の暗闇からは、自家用車のライトが点灯を繰り返す。「聞いて居たぞ!社会の片隅でお前に期待しているぞ。」とのメッセージが聞こえてくるようだ。こんな幸福と期待を背負って我々地方議員が日々の政治活動をしている。
きっと出来合いの形式だけの選挙しか経験のない現職知事には味わった事のないことだろう。支持者がどんな困難の中で応援しているかも知らずに、自分が評価されたと思う人には絶対に味わえない幸福と責任感だ。
福島県知事の事件が多選の弊害であるかの質問に対して「毎回選挙で選ばれている。」と回答されていた。「選ばれた。」といえるほどの選挙だったとは思えない。とても候補者としての実績を検証された選挙ではなかった。現職が絶対優位である全県選挙である。新人が挑戦をする事が困難な選挙だからこそ、県民の思いを忖度して謙虚に行動するべき立場だ。
「天下りの官僚に一兆円の予算と一万人の人事権を20年間与えれば、裸の王様の出来上がり。」と批判をするのはた易い。しかし成熟した群馬県民に龍は何を目指すのかを伝えるのは容易な事ではない。批判ではなく龍の描く郷土を伝える能力を磨くことを怠ってはならない。