少年たちが勝利を賭けて戦った高校野球の熱闘も終わった。「紺碧の空」への哀愁を持つ身には勝利は心地好い。
「紺碧の空 仰ぐ日輪
光輝あまねき 伝統のもと
すぐりし精鋭 闘志は燃えて
理想の王座を占むる者 われ等
早稲田 早稲田 覇者 覇者 早稲田」
と歌われる応援歌の歌詞にある「理想の王座」はひとつしかないのだ。一方、敗れた北海道の高校生は、敗者のかなしみで帰路へつくのか。出来れば達成感だけは味わっていることを願っている。
早稲田の斉藤投手への好感を聞く。同感だ。それは正にボクシングの亀田選手へのバッシングと対象の感情だろう。ともにトップアスリートなのにこの落差は如何してなのだろう?大人に好感を持たれるか、否か。選手である前に礼節の分野の話だろう。練習や身体能力という競技者の本質の話ではなく、記者会見の言葉使いや表情などの表現方法の違和感なのだろう。「なんで、俺が嫌われるのか?」本人は気づいていない。それが青春の特性だろう。後になって始めて知る周囲の感情。
私事だが、先日のマスコミ紙上において、「県政のリーダーとして安定して任せるに足る人材かどうか、判断は慎重にしたい。」とのコメントが掲載されていた。自分の気付かない幼稚さを指摘しての言葉なのだろう。11年間、議会において活動してきた全てを評価しての言葉に、私自身も、見えない自分の何かを見つめなくてはならない。
でも、それは本質とは違う表現方法への違和感なのだろう。私は今までの県政のアンチテーゼとしての私が訴えるべきことを語り、書いている。問題は、方向性ではなく、性急な改革、つまりハードランディングかソフトかの手法への不信だろう。それも含めて私は「理解を深め、共感を得る。」という過去と対極のスタンスを考えている。山本龍の中にある「亀田」を払拭するには、焦りを捨てることだ。
コメント (1)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060823it01.htm?from=top
5選もしてくると、おごりがでてきて、脇が甘くなる。1人が20年も知事になるものではないいい例。
まだ福島県知事本人へは及んでないが、検察による事情聴取は年内にある。副知事時代を含めて20年以上というのも統計的には犯罪への誘惑がここかしこにあるものである。検察には起訴便宜主義で裁量権があるから、捜査以前に形式的には犯罪だが、「のん」でしまうことはよくある。
投稿者: 5期もやると・・・ | 2006年08月23日 08:30
日時: 2006年08月23日 08:30