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溶解限度を超えた貧困は社会の底に沈殿はじめる。

群馬キャラバン館林邑楽ステージもあと一週間になった。ここまではきわめて順調。家族と離れる寂しさ以上の出会いの喜びがある。先週は、ここ館林に暮らす高校時代の同級生と再会した。ここの市立中学校勤務。宿舎のホテルに訪ねてきてくれた彼は、高校時代の面影が残っていた。

そして昨夜は太田市の同志との次のステージの打ち合わせ。館林とは雰囲気がちょっと違いそうだ。ここに慣れると次の地はフランティアだ。緊張する。

今日は東京から二人の大学時代の友人。そして偶然にも、草津から友達が相次いでホテルに来てくれた。ここの名物をご馳走した。それは「うなぎ」。ここのうなぎは本当に美味しい。ホテル近所のうなぎ屋さんがお休みだったので、板倉の雷電神社のそばのあるお店に行った。名物の食べ物がある土地は良いな。あんまり美味しいので又来るという。今度は割り勘ですから。みんなにうまいと言われると「自分のふるさとが褒められたような気分。」

さて、その3人共が、昨日のNHKのワーキングプアを取り上げた番組を見ていたことを知った。異口同音に内容の興味深さを語り合った。そしてその番組のなかでの事象についてそれぞれの立場での意見を述べ合った。社会保障をどの程度まで税によって行うかでそれぞれの意見に差異があることが分かった。

丁度偶然、今読んでいる本は「マイホームレス チャイルド:三浦展」「下流社会 新たな階層集団の出現:三浦展」「渋谷:藤原新也」だから、この読後感と合わせて龍のワーキングプアへの対応を後日ここに書き込みたい。一年半前、「希望格差社会」:山田昌弘・筑摩書房」を読んだ時の衝撃以上だ。なぜならその本の中で予想された社会がすでに現実になっている事だ。政治が何かを怠っていたのではないか。その責任を果たすべき役割に私もいたのだ。

僕らが議会で発言した事々が思い出される。我々は真の危機感を持って考え行動してきたのか?未来の社会に責任を持っていることを実感している。

「一定容量の溶液に溶かすことが可能な溶質の質量は温度によって決まっている。」と思い出した。温度が下がって沈殿始めたのかもしれない。或いは、溶質が過剰に入ったのかもしれない。問題なのは、温度が下がったことでも、溶質の量に気づかなかったことでもない。

沈殿一歩手前まで、透明であるビーカーの中に既にタップリ何かが解けて存在してる事に気づかなかったことだ。

コメント (1)

5期もやると・・・:

>僕らが議会で発言した事々が思い出される。我々は真の危機>感を持って考え行動してきたのか?
>未来の社会に責任を持っていることを実感している。

なかなか調子いいようですね。
『伸びる人間』とそうでない人間の「差」はどこにあるか?
よく言われるように、『現状に甘んじない』そういう姿勢の有無です。
これはスポーツでも勉学でも当てはまります。
現状に甘んじると「惰性」で動くようになるし、それでなんとかなるようになる。経済では、それが数字で出るから、惰性の経営は長続きしない。
ところが、政治は「惰性の政治」が続きがちになる、特に国政では競争が激しいからそうではないが、地方自治の現場は首長がそこをよく意識しないと、すぐ「惰性の政治」さらには「堕落政治」になる。本来5期もやろうなんて堕落惰性政治であろう。
最近のいい例が、福島県は収賄事件に発展するか現時点では不明だが、5期目である佐藤栄佐久知事の実弟の経営する会社と三重県のゼネコン(会長は逮捕済み)の不透明なつながりによる経済的妥当性を欠く取引で去年から事件化している。報道も相当でてきたから、やがて「膿み」がでてくるだろう。

そこで、えらい人間とは、「自制」がきく人間。それが効かないから、「任期制限」がある。それは自由主義と民主主義の知恵である。
それを否定しようというなら、人権感覚を疑われても仕方ないな。

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2006年07月25日 21:28に投稿されたエントリーのページです。

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