« 議員辞職で素浪人。塹壕の中での誕生日。 | メイン | おおたタイムス紙面より »

彼らは確実に民意を代表しているのだと実感している

歩いて歩いて、300軒。街頭で叫んで叫んで1時間。そして駅で、交差点で、配って配って延べビラ撒き枚数600枚。前橋の事務所から、遊説カーに乗せてきた1万枚のビラ半分、行脚開始5日間で5千枚。1日1000枚のビラがこの町の人に読まれている。これは、大きな政治力に繋がるはずだ。追い風にも逆風にもなる政治力を起こすであろう。

主張する方向への賛意と異論。これが同時に起こっていることだろう。でもこの選択の方針を示すことが、政治選択につながるのだ。

みんな、僕らの政治活動を楽しもうではないか。

館林の農村部である渡良瀬川右岸を今日は歩いた。何人のも方々が、珍しそうに話かけてくれた。茄子を持った手で指し示す先には、近所のおじさんがトラクターを動かしている。

一茶の句だ。楽しんでいる、全てを。見ること、聞くこと、感じること。そして足の痛みも、お世話になっているホテルの指圧師の方の話も。そしてこの土地で、政治活動を続けてきた県議会の先輩や、仲間の顔が浮かぶ。県際地(ケンサイチ:県境の土地のこと)の苦労、県庁所在地から2時間の土地にいる苦労、湿地地帯、足尾鉱毒問題、東武鉄道、医療の問題・・・。

この地の代表である県議さん達が、本会議や委員会で発言した事を思い出す。たった5日間の館林住民ではあるが、議員経験者の端くれである僕にも感じることだ。

コメント (1)

内友:

山本さんのしていることは、まさに『民主主義の原点』だ。つまり、選挙というのは自分たちの「代表」を選ぶことだが、選ぶという行為の基本は、その人をよく知ることだからだ。
よく知らないまま、投票しても形式的には『選らばた』ことになり民主主義的正当性が付与される。そのうち、有権者もバカではないから、言われたままに地域のボスがいうからといった投票行動に疑問を抱く。
それが投票率の低下だ。投票率の低下が招く事態は、民主主義の形骸化=民主主義の正統性の形式化である。
投票率が4割をきったような知事選では、そこで過半数をとっても、2割もないということ。これでは山本氏もかいていたように、クリントン前大統領の1期目よりひどい。
全く、形骸化だ。
時代が変わる、日本が変わる、その曲がり角にいるときに
最初の選挙が、投票率5割をきったら民選の正当性が疑われる。
その意味から、山本氏の県内全域で予定している行動は、投票率を確実に上げると予想されるから、民主主義の原点といえる。
もし彼が現職なら、これは「移動知事室」といえよう。
住民ばかりが移動せずに、知事自ら移動するくらい出なければリーダーとはいえない。
知事室から出て世間を見ることが民主主義の基本。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2006年07月07日 21:31に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「議員辞職で素浪人。塹壕の中での誕生日。」です。

次の投稿は「おおたタイムス紙面より」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type