議員辞職で素浪人になって、館林のホテルにいる。同行のスタッフと缶酎ハイで47才の誕生日を祝った。まさに塹壕の中での祝杯だ。
何も議員を辞めなくても、という意見もある。しかし背水の陣という言葉もあるように、もはや後戻りはできない。逃げ道を断って活路を拓くという気持ちと、もうひとつこれからの1年間、県内を歩き回ってみんなの声や思いを聞いて、自分の知らない群馬をみてみたいという気持ち。こんなことができるのは、生涯で今を置いて他にはないと思う。
群馬に生まれたのに、群馬がわからないじゃ、果たして人の役に立てるのか!?群馬全域を歩き回れるのは本当に貴重な経験ができると思う。僕が、まだ知らない『群馬』のよさ、『普通』であることのすばらしさをきっと沢山発見できると思う。
議員ではない『素の山本』をみてもらい、同じ目線で群馬の課題・地域の課題を汲み取って自分の血肉にしたいと思うのである。山本龍という「一個人」を見てもらいたくて、僕は肩書きを捨てて『素浪人』となった。
民主主義の原点ってなんだろう? 『選んだ』という実感が持てる選挙になっているのか??
よくいわれるけれども、真にいい政治は「哲人政治」だという。『哲人』といわれる、公平無私、情に厚く清廉、そんな政治家が本当にいれば、それが言いに決まっている。しかし、そんな哲人はいないのが現実。そこで民主主義という、選挙で『民意』を吸い上げるという政治システムが、次善の策としてでてきたと説明される。
でも、僕は思うんだ。選挙というけれど、立候補する人が限定されていては、住民に『選択肢』はない。この間の衆議院(郵政)選挙があれだけ盛り上がったのは、選択肢が増えたからだった。選択肢が増えることがまず民主主義の前提。けれども、選挙の形骸化も指摘されているように、選挙が形ばかりになっている=投票率の低下これはいけない!
これでは選挙で選ばれたといっても、本当はあまり説得力=つまり「民意の正当性」があるとはいえない。例えば、クリントン前大統領も、1期目は「4分の一の大統領」なんていわれて、民意の4分の一の支持しかない大統領ということで、正当性に疑問が付いてたものだ。
だから僕は、選択肢を増やし、投票率をあげて、本当にみんなが自分たちの身近な政治について、投票権を行使してもらいたいと思っている。「自分で自分たちの代表を選んだ」という実感をもってもらいたいのだ。だから、今度の選挙は、選挙って、面白い、『俺が私が、選んだ」という実感をもてる選挙にしたい。だからこそ、これから1年、素浪人=生のありのままの、山本龍、一個人として、みんなと話しをしにいくのだ。
これこそが民主主義の原点だと思うからだ。僕は、記者会見でも「みたことのない戦いぶりをみせてみせる」と宣言した。そう、民主主義の原点に戻り、みんなと話して思いを伝え、みんなの思いを明日の政策に実現する。そのために、組織や一部の『偉い人』に頼りがちな従来の組織選挙とは異なった、個々の人の思いを結実させる戦いを展開していく。
昔、家康が海道一の弓取りと呼ばれたころに、「この家康と戦いたいというならば、海道一の弓取りといわれたこの家康の戦いぶりをとくと味わわれたらよい」、といったそうだ。まさに昔は命をかけた戦い。命を懸けて戦わなければ、家臣も領民もついてこない。みんなの代表になるのはまさに命がけだったのだ。そして、家臣や領民の信頼があればこそ、家康は強かった。戦いを挑まれて、堂々と、家康のようにいえる政治家がどのくらいいるのだろう?
民主主義・地方自治の原点は、個々の住民だから、家康の言葉を今風に直せば、政治家サイドに、地域をよく知っているという自信と、住民との信頼感・連帯感がなければ、家康のように堂々とあのように言えないと思う。地域をよく知ることと、住民との信頼感。その根底には地域への愛情。それこそ、民主主義の原点だろう。そのために、僕は、一個人山本龍として、素浪人となり、群馬全域を1年かけて歩き続ける。
これが、山本龍の『戦いぶり』である。