政局も深まった。トップページに書き込んだ私の所信のように、決断のときは刻一刻と近づく。もやはこれを過ぎれば引き返せない。この言葉は、私自身の心の中では、すでに発せられたものだ。いつだったかこのブログに「私の県政への思いが400字の言葉に纏められれば・・・」と書き込んだ。その日をもってこの決断はなされていたのだろう。
政局が深まるほど、県政への思いや行動はこのブログで書き込める容量を超えてしまった。「龍のスケジュール」の公開も憚らねばならないことになろう。
365日間の私の生まれた故郷を離れる挑戦の旅、心を伝える旅がはじまる。1日1000人の人と語れれば、36万5千人の人々と語れる。街宣カーももうすぐラッピング工場から戻る。朝は駅の街頭で、昼は商店街で、夕方はスーパーマーケットでチラシを配り、思いを語ろう。他の時間は家々を尋ね歩こう。1000人と手を握り、語り、聞き、考える。私の最大の楽しみだ。私はこれに集中する。集中し、人の心を信頼し、脇目をしないで集中する。
草津温泉の共同浴場で近所衆と湯煙のなかで体を伸ばすことも長らくのお預けだ。この旅に出る私は、最近不思議と家が懐かしくなる。愛おしくなる。草津といえば温泉、しかも昔から東西温泉番付けでは東の横綱だ。みんなが、草津に来てくれる。いい温泉だといってくれると正直うれしい。
ただ、ここに生まれて子供のころここで育つと草津温泉はやはり「いつもの温泉」に自分の中ではなっていた。だから、草津のすばらしさを説き、毎月80Kmも離れた草津に湯を浴びに来る友人を見ると、正直「そんなに草津がいいのかなあ」と思う。
『身近すぎることで見落としがちになる価値・宝』だ!「ふる郷は遠くにありて思うもの。」だ。これらも、身近すぎることの『盲点』を付いたことわざだ。身近すぎると、距離が近すぎると、つい『普通のこと』としてその価値を見失いがちだ。人間にはありがちだけど、政治をする人はそうならないように常に自分を戒めねばならない。それは権力を持てば持つほどそういう意識が大切だ。
今自分の身近で助けてくれ僕を支えてくれている人たちみんなが宝だ。妻もそうだ、子供もそうだ。妻なんて書くと恥ずかしいが、僕の支えだ。それは当然だという考え方もあろうが、一番身近なものをへの感謝をなくして、どうして他人への感謝の心を持てようか?僕は、身近な人に、苦労をかけるかもしれないが、そのことを肝に銘じて、身近な人ほど、宝、そしてより多くの人を自分にとって『身近な人』にしていきたい。
困ったことがあったら、僕の部屋を開放しておくから訪問してほしい、声をかけてほしい。
そして、明治期のある人がこんなことを書いていた。
「自分の中の偉大なものの小ささを知らない人は、他人の中の偉大なものの小ささもわからない。」
これを自分にあてはめればこうだ。僕の中の『草津温泉』は僕にとっては当たり前のもので、その意味で「ちいさなまも」だ。しかし、その「小さなもの」の偉大さ=多くの人がその湯を求めて草津に来てくれる=を知らなければ、僕は、他人の中の「小さなもの」の偉大さにも気がつかないおそれがある、ということだ。見た目に騙されず、みんなの、この群馬の、何気ない『普通』のものの中に、実はわれわれの未来にとって「価値のあるもの」が隠れている。それを探し出して大事にしていくことこそが政治の役目である。みんなの『思い』を形にする。そのために、7月からの、キャラバンでみんなの声を思いをできるだけ吸収したい。社会は「普通の人」で成り立っているわけで、特別な一部の人だけで成り立っていると思ったら大間違いだ。特に政治とはそういうものだと思う。