小寺知事が5期目の意欲を示されたようだ。政治家の進退は自身での引退決意か有権者に判断によるのであり、第三者の私の言及するところではないことは判っている。ここでは一般論として意見を述べたい。
「絶対権力は腐敗する。」との格言がある。絶対権力とはなにか。それは「権力の無期限、そして権力の集中」との意味だろう。北朝鮮の支配者の例をとれば明白だ。長期政権で権力集中である権力者が、その政権の腐敗を自身の自制で抑止できる可能性は否定しない。しかしその自制こそ、自身での任期限定、分権を行使する勇気を示すと感じる。確かに選挙という過程を踏むのだから他律的任期限定であるとの反論もある。
しかし、現実には小さな選挙とは違い県域を選挙区にする知事選では現職は圧倒的に有利である。またマスコミ露出や審議会委員選任、タウンミーティングなどの集会開催・・・。現職であるがゆえに多くの選挙方法を展開できる。しかも公費でだ。この点を考えれば、他律的な限定は機能しづらい。もう一点の権力集中だ。かつて委員会視察先の静岡県庁で大きな3政令市が静岡県に生まれる可能性について説明があった。県の役割の低下を質問すると「うちの知事は静岡県が3つの政令市へ分権されることは良い。と言っています。」と答えられた。これは知事の意識しだいだろう。
さて、群馬県のテーマに戻って見る。分権の受け皿である市長村合併には関与しない群馬県知事。さらに任期を限定にも消極的だ。小寺知事の言葉が新聞に書かれている。「群馬は今勢いがある、木で言えば太い幹が伸び枝葉が茂って来たところだ。・・・きれいな花を咲かせるためにはまた50年年100年と群馬を発展させるためにはこれからの四五年が特に重要。」とある。それも其の通りであるとも感じる。一方で以下のようなスタンスの知事もいる。
片山善博知事が参考人としての憲法調査会での発言を引用したい
・・・・・前略・・・
それから次に、「多選問題」と書いておりますが、これは首長の問題であります。
私は今、三年やってきたということを申し上げましたけれども、本当に手ごたえのある、充実感のある仕事であります。私は、選挙に出るとき大変迷いました。役人をやっておりましたので、本当に選挙に出るというのは大仕事でありまして、しかも子供をいっぱい抱えていたものですから、どうしようかと思ったんですけれども、思い切って選挙に出て、今の仕事についてよかったと思っています。本当に毎日毎日忙しいんですけれども、充実しております。
しかし、私は、今の自分を考えていまして、これを一生懸命やった場合に、例えば一期で四年、仮に二期八年やって、それで全力を投球して、さらにその後、エネルギーだとかアイデアだとかが残っているだろうかと考えた場合に、全力投球したら枯渇するんじゃないかという気がするんであります。それで、世の中では、三期、四期もやられている方がおられて、よくあんなに情熱が続くなと思ったり、逆に情熱がそんなにないのかなと思ったりもするんですけれども、率直に申し上げて、十年も一生懸命やってできないことは、もうできないんだと思います、その人には。十年一生懸命やってできることは、できていると思います。ですから、多選はよくないと私は思います。
それからもう一つは、これも自分で毎日気をつけているんですけれども、やはり権力は自己目的化します。県庁というのは一つの大統領制のもとででき上がっている組織でありますから、非常に権限の強いトップリーダーになれるわけであります。そうしますと、そのうちそれが自己目的化して、県庁のスタッフというのはトップのために仕事をするようになる。住民のために本来仕事をする組織の成員であるべきところが、トップの方を向いてトップのために仕事をする。トップは役所をかばうようになる。こういう妙な組織のあり方になって、自己目的化して長期政権が続く、こういうことが随所に見られます。
ですから、私は、経験上、例えばアメリカの大統領が二期で切っているというのは、一つの経験則として英知だろうと思うんです。我が国の場合には、首長に多選禁止はありませんけれども、私自身が、今の立場ではなくて、例えば一人の国民、一人の住民として見た場合には、やはり多選についての何らかの制限があった方がいいんではないか、その方が我が国は伸びやかな社会になるんではないかという気がしてなりません。
長くても、自己抑制できる能力のある方は、腐敗しない。
コメント (2)
さて、民意と多選についてと書いていたら、山本氏がまさに答えてくれたので、私は「補足」のみいたしましょう。
片山知事のこの調査会での発言は有名ですし、発言のいわゆる「肝」は下記に引用の通り。
多選の本質的問題点は、「人間が公共のために、命がけで全力でやったら、8年かけてできないことは、12年かけてもできないということ。」この当たり前のことに、本人も、周囲も気がつかないのか、無視するのか、目的が本来の「民主主義」の目的とはちがう、当選それ自体とそれに伴う利権拡大のみが自己目的化していくところだ。
それを片山知事は、明確に言い切った。そこがえらい(もちろん、この知事はほめられないところもあるが、しかし、多選批判の本質はしっかりと押さえている。小寺さんと同じ旧自治省出身11年後輩だ しかし彼のほうがキャリアとしての出世はしている)
記
私は、今の自分を考えていまして、これを一生懸命やった場合に、例えば一期で四年、仮に二期八年やって、それで全力を投球して、さらにその後、エネルギーだとかアイデアだとかが残っているだろうかと考えた場合に、全力投球したら枯渇するんじゃないかという気がするんであります。それで、世の中では、三期、四期もやられている方がおられて、よくあんなに情熱が続くなと思ったり、逆に情熱がそんなにない(から続く)のかなと思ったりもするんですけれども、率直に申し上げて、十年も一生懸命やってできないことは、もうできないんだと思います、その人には。十年一生懸命やってできることは、できていると思います。ですから、多選はよくないと私は思います。
投稿者: 内友 | 2006年05月23日 09:00
日時: 2006年05月23日 09:00
補足その2.
山本氏はいいことをいっている。「任期限定」。
これはいわゆる「時間的分権」のこと。人権尊重=権力分立ということが基本で、権力集中をしないことが大切なわけだが、長期にわたり権力が1人にある(=多選)と、結局、自由主義、人権尊重の原理に反するのが一般的。そこで、民主主義との調和を考えたとき、選挙ということになるが、それが正当化に使われることと現実の弊害に鑑みて、多選制限が自由主義の脈絡から制度の中の人権保障装置としてでてくるわけだ。
それが、経験側から制度化されたのが、アメリカ大統領の2期8年までの制限だし、韓国でも、5年で1期、再選なしとしている。
小泉首相でも、5年も全力で走れば、賛否はあれどいくつもの重要法案を通した。まさに、片山知事がいうとおり、人間全力でやればそうアイデアも気力も体力ももつものではない。
そして片山氏がいうように、12年も16年も持つ人は、情熱がないから続くのかな、という「逆説」が真実として成り立つ。
政治家として選ばれて公共のためにやる以上は、命がけで死んでもいい覚悟でやらねばダメ。
まして、時代の変革期にあってはまさにそう。
投稿者: 内友 | 2006年05月23日 09:12
日時: 2006年05月23日 09:12