すごい渋滞の中、群馬県内をあっちへこっちへ。なかなか効率が悪いなと感じます。汗疹が首にできるほど暑い。そこで、今日は前橋の事務所で書類整理をはじめました。すると今度は、龍の顔が見えたのでと、多くの来訪者。買い物帰りの吾妻の方まで見えられていい一日です。ただ政治の基本は自分の足で自分の考えを訴える事です。事務所の椅子では、新しい政治活動の輪を広がることはできません。
一昨日、上京して書道家の知人との文化振興についての意見交換会を行いました。「源氏物語の朗読運動をしたい。」との話には興味が湧きます。「変体仮名くらいは中学時代に指導するべきだ。」も同感です。我々が効率的な教育の中で、積み残した部分を知らさせました。
産業界の要請での画一化された教育で、我々国民の基礎的な知識が統一された事は、確かに国力増強という面での効果はあったでしょう。教養人を育てるという観点ではどうだったでしょうか?
「内村鑑三や新渡戸がアメリカで、立派な国際人として認められた。それは、圧倒的な漢籍をはじめとする教養があったからだ。そして自分の文化に対する絶対の自信と自負を持っていたらからだ。」と藤原正彦氏は書いている。同感だ。我々が教養を失っている事は事実だ。
話は飛びましたが、往復の時間と電車代を掛けても、東京の会議室で3時間話しこんだ、書道家との意見交換会はいろいろな私の思考の輪を広げてくれた。だから、人と話すのは楽しい。
よく政治活動の対話は、一方的に主張を伝えて終わる場合がある。私の場合は、聞くほうがいい。話すのは自分の脳みそにあるものだが聞くのは新しい脳みそが増える。
この休みもあと2日。小渕恵三代議士の下で休暇の経験のない私はいつもこの長期休暇に馴染めない感覚があった。そういえば、新婚旅行も行っていない。14年前の6月14日の結婚式。その直後の参議院選挙の応援派遣を私は命じられていた。上野候補への応援だっただろうか。参議院選挙の期間の長さや選挙区の広さを実感しながら、妻になりたての三枝が心配でいたことを思いだす。
こんな使命を自分の仕事にしながら、随分長い時間が過ぎた。でも後悔はない。多くの仲間にいつも囲まれて、政治の挑戦を続けてこれた。こんな男と付き合ったくれた仲間に感謝する。
もちろん家族へもだ。初挑戦の12年前、汗疹だらけになりながら、チャイルドシートに寝かされて、街頭演説に付き合わされた麟太郎も少年から青年へ変わった。「あの時は、クーラーつきの街宣車が買えなかったのだ。」と思い出す。家族と仲間に支えられた私の政治活動も最後の佳境へとイヨイヨと突入。私と同士の今までが問われることになる。何も構えることはない。「主張を伝え、痛みを聞く。」この姿勢を貫く。