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群馬の幸福度アップ

振り向くと、ソファーで桜子が寝ている。毛布に包まっているので、気づかなかった。妻が忘れていったのだ。急いで、ベッドへ抱いて運んだ。麟太郎のときは頭を右に、桜子のときは左に抱きかかえる。それが彼らのベッドの枕の位置なのだが、最近は変わった。桜子は麟太郎のベッドで寝たがるのだ。不在の彼の布団に彼の匂いがあるといっている。彼女は、自身が麟の代わりになっていると主張しているのか。

親の都合で子供を少年時代から、一人にさせた我々とすれば、ほほえましいと感じるながらも、寂しがる桜子への申し訳なさを感じる。その麟太郎から電話があったと言う。「一足だけの靴が泥だけで洗ったら代わりが無いので送れ。」とのことだ。短い電話だったようだが、楽しく生活を送っているようだ。

さて、帰宅後のニュースで「中二の女学生が死体で発見。」、「母と姉が餓死。障害のある妹が保護」とあった。これが社会の実態だ。アメリカでは資産家が安全に不安を感じ、少年の麻薬使用が常態化し、社会はまさに混乱だ。日本がこうならない保証は無い。むしろそういう方向へ進んでいる。

努力せずに保障を求める人々がいる以上、無審査の社会保障など論外だが審査を前提に社会保障の充実は被保障者だけでなく、保障など受けないで暮らせる富裕層にも益のあることではないか?

社会保障の脆弱化によって困窮した階層の人々が起因する社会不安の多くをこの保障拡充が解消できるなら、社会全体が安定化して、富裕層の警備支出が削減される。学校の授業も安定し、橋の下や公園を占拠するダンボール小屋も無くなる。

そのことは社会全体の幸福度を上昇させる可能性がある。私の主張を貧困層にだけ手厚い社会主義だという指摘がある。何度も言うが、社会の格差是正というより、底辺の生きる人、幸福になる望みを絶たれた人に対して、彼らの幸福度を上げるべきは政治の役目だ。

社会保障費の削減で多くの人が生活困窮に陥った。教育費の縮減で多くの教室が崩壊した。市場合理主義の蔓延で高度な職業訓練を受けていない人が失業した。障害者自立支援法によって介護の回数を減らされた。

いくらも希望を政治によって奪われた人々を見つけることができる。『群馬オリンピック開催などの大きな前向きな夢を龍は語るべきだ。』との指摘もある。あえて私の大きな夢を語れば、それは『誰も泣かさない県政を作る。』との夢だ。それは群馬が豊かな郷土になることを意味する。豊かとは経済指標で表されることだかりではない。資産家であろうと、子供が不登校なら幸福とはいえない。

「子供が元気でに学校へ行き、安全も心配ない階層は、恩恵が無い。」との指摘もある。社会を支えるために納税するという誇りこそ、喜びにしてほしい。少なくても、「独居老人の孤独死!」や「小学生がいじめを苦に自殺。」などの悲しいニュースをテレビで聞いて胸を痛ませることがなくなることこそ恩恵だと思ってほしい。

『他人はどんなに酷い暮らしでも構わない。』と言う方へ。貴方も救いを求めるときが来る。そのときの為にご理解ください。

コメント (3)

内友:

群馬の幸福度、このことに知事が誰かは本来大変影響する。だってね、クラスだって担任は誰かで子供の成長に影響出るよ。
扠、小寺さん、5期目へ挑戦。後援会が決議か。
誰の幸福なんでしょうね?【後援会】?
時代が明白に変わるときって、かような抵抗勢力、反革命がいるんですね。その中核は、全学連世代の暴れ者の人。
昔よく「反動保守」とか「反革命」とか「造反有理」とか行って、毛沢東語録を振ってたようなひとたち。大学破壊した連中(このひとたち面白いです。精神構造が。学歴教養は敵だから大学なくせ、田舎へ追放しろ、あげくに美人は特権だから、顔を傷つけろとね)
時代の変わり目で、このスピード化した時代に、なお「古い酒袋」でいいと考えるというのは、
こういう人と類似の「精神構造」が、小寺後援会の実態でないの?群馬は日本から落ちこぼれてもいいの??
群馬は日本国内の「負け組」か?企業で考えているといい、このスピード時代に社長が20年はいない。
大企業ほどいない。時代に「振り切られてしまう」。

と思うのもね、前も書いたけど、小寺さんは本省の出世コースから完全に外れていたから。
そういう人が20年やりたいと考える理由は普通はただひとつしか考えられない。(続く)

内友:

参考に申し上げると、同期の間で落ちこぼれたものは、ずっとそう思われる。そのことを小寺さん自信一番よくご存知だと思う。間違いなく、自治省入省できたときは、他の省庁入省組みよりエリートだったのだから。自分の気持ちは充満したはず。
でもこれも前に書いたように入れば今度は、省内競争があるから、そこで劣敗すると復活は容易ではない。かろうじて小寺さんは、群馬の副知事になれて、競争にもどれたが、その程度では駄目。
官僚の思いというのは「なんだ、あの落ちこぼれ、ラッキーだったな、でも小県だからいいさ」というこ感じです。この同期らの思いから逃れて劣等感を克服するには、唯一の解決策は、他の同期のものより早くとにかく知事になること、そして長く知事をやること。どうせ同期でも次官クラスの本当のトップにはどう転んでもかなわないから、それならせめて群馬のような小県でも知事をやり続けること。これが一度劣敗した官僚のコンプレックスの解消法です。
だから、心配なんですね。本当のエリートリーダーは、地位に固執しないから。
だから、小寺さんに自省してもらおうと、前に、自治先輩の石破知事、自治大臣の話を紹介したんだけどね~。
次官経験者の石破さんとちがい「落ちこぼれ」だから関係ないのか?そこまで「開き直り」?
そりゃひどい。
ゴア元副大統領もそうでしょ。超エリート、でもサブリーダータイプ。トップリーダーにはなれないとわかると諦めが早い。
対照的に駄目なのが、ニクソン。ただ悪運があったが、やはり最後はだめ。
小寺さんこのままではニクソンタイプかな。

こういう「精神構造」があるということを、ご参考までに申し上げておきましょう。
エリートにはエリートの【過酷さ】がありますから。そこから勝ち抜いてこそのエリート。
但し、エリートとリーダーが違うことも、普通は認識しています。認識が欠けていると、古くは宮沢総理や、今回で言うと、斉藤健のようになるかなあ。あっ忘れるところだった、典型的なのが「キャバレーさつき」ちゃん(筑附の人はわかるでしょう)。
日本は、いいところであり、悪いところだと思うことは、リーダーにエリートがつけることと、エリート=必ずしもリーダーではないこと。その代わり、最近は、リーダーでもエリートでもない、とんでもないのが議員にぼこぼこなれる。例は千葉7区や前回のどこがマドンナ?!議員、例えば、料理研究家とか川条しかとか。どうなってんの?というかんじ。
まあそれだけ日本は幸せということかな

内友:

言い忘れた。
>まあそれだけ日本は幸せということかな
ではあるが、群馬が日本の負け組、落ちこぼれ、これで本当にいいわけ?
誰かのコンプレックス解消の実験場にされてたまらなくないかなあ。

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2006年04月21日 23:29に投稿されたエントリーのページです。

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