格差社会についての報道が目立つ。私が「希望格差社会」を読んだのは今から**年前。それが現実になっていると感じる。
小泉総理の「どの時代にも格差があった。」というコメント以来、小泉改革をこの格差拡大の原因だとする意見がある。改革によって得た資源が格差縮小の促進に向けられていないからであり、改革そのものを否定するのではない。
政府は失業者の再就職を促進する仕組みを研究するとの報道を見た。今頃かと感じる。中央政府の主導で行われている「若者ジョブカフェ」との若年者就労斡旋も群馬県内で3カ所行われているが、何か形ばかりで実効性がどの程度あるのか疑問に感じていたところだ。雇用不安のない役所が雇用不安解消政策を考えるというシニカルな話。
近代社会の構造転換
社会科学の従来の考えでは、社会が発展すると、社会はより安全になり予測可能かつ制御可能になる。そして人間の生活は豊かになると思われてきた。ところが、現代社会が向かっている方向は、「社会の不確実性が拡大し、生活がリスクを増し成功者の影で、弱者が社会からはじかれる、その結果、社会秩序は崩壊する」
リスク化と二極化は避けられない世界の流れである。そしてそれらは相乗効果を及ぼしながら社会的な強者と弱者を作り出していく。リスクは意志でもって避けられない。避けるためには能力が必要。健康保険もコストがかかる。倒産すれば、再就職は能力のある者しかできない。再婚の美人が有利だ。負け組はリスクを事前にヘッジするコストを払えない。そしてどんどん負け続ける。
二極化の加速している。大企業の連携。或いは勝ち組同士の結婚、負け組同士の結婚そして生まれた子ども達。20年後30年後には絶望的な格差となる。希望の格差が拡大する。
リスク化と二極化が不可避ならば、これによって作られた弱者への社会的な対応が必要。では何をすればいいのか。個人的な対処への公共的な支援が必要だ。能力を付けたくても資力のない人へ能力開発の機会を、努力すれば実感出来る仕組みを作る事。
具体的には
・ 学校や職業訓練システムでは資格と収入の保障制度
・ 夢を追うフリターには就業カウンセリング
・ コミュニケーション能力の向上[出会いを活かす能力]
・ 様々な家族リスクへ対応した社会保障制度[婚訴訟費用貸し付け、]
・ 「13才のハローワーク」の様にキャリアカウンセリング事業を低年齢時に行う
・ 高齢者年金の反対の若者支援金
小出しの政策でなく、インパクトのある政策へ集中する事が必要だ。
コメント (3)
「格差社会」という言葉について。
最近流行ですねこの言葉。政権攻撃の便利なイメージ言葉として民主党が使うイメージですw
冗談はさておき、無前提に「ネガティブ」に使われているところが気になる。「格差」いいんじゃないの?そもそも憲法ですら、地域間格差を前提に条例制定権を規定しているわけですから。全国一様になるほうがおかしい、不気味だ。気味が悪い。
旅行をして楽しいのは、自分の普段の環境とちがう生活ぶりや景色が見えるから。もし「格差がいけない」とか「なくすほうがいい」ということであれば、国内旅行も世界旅行も全くつまらなくなる。むしろ「格差」があることは、日本社会の健全な証だ。つまり、日本は、努力と能力の違いに応じてその結果がでてくるということだ。
欧州なんか見てみたらいい。日本が「格差社会」なら欧州は「階級社会」でしょう。そもそも庶民がはいるのをはばかるお店なんかたくさんある。日本で「平民はお断り」なんていうお店ありますか?英国人で日本に来て日本が「いかに平等か」驚いている人が終戦直後に感想を述べています。江戸時代に日本に来た英国人も、同様な感想述べています。さて、アメリカなんか、すさまじい「格差社会」でしょう。もちろんね、「格差」をどうとらえるかは国次第。しかしね、「格差の存在」も多様性の確保の一環、いろいろな人がいていろいろな生き方があっていいということだ。そういう風に発想できないものか。
投稿者: 内友 | 2006年04月05日 11:14
日時: 2006年04月05日 11:14
覚えてますか?「15の春は泣かせない」というスローガン
「格差社会」をなんとなく批判することについて危ういものを感じます。
というのは、「15の春は泣かせない」と流行し、しかし結果は「18の春はボロ泣き」で、教養も学歴もつかずに人生失敗という結末をその自治体は歩んだからです。
その2の舞が、ここ数年の失敗した「ゆとり教育」、これはさらに悪いことに、国の政策だったから害悪が日本全体に広まってしまい、最悪だった。
そこで、今の「格差社会批判」同じじゃないでしょうかね?どうでしょうか。
「15の春・・」のようなスローガンは
「聞く耳にやさしい」かもしれないが、数年先の結論は「18の春はボロ泣き」になったように、イメージとしての「格差社会批判」も、努力しない自分を社会のせいにして正当化し、棚に上げて、泣きを見るという教育上悪い成果になるのではないでしょうか。
今大切なのは、「格差」とは何かを明らかにした上で、その「格差」というものは個人のライフスタイルの選択のひとつであって、他人がとやかくいうことではないのではないか、本当に問題な格差とは、人種差別のような
個人の努力ではどうしようもないことを原因に不平等な取り扱いを受けた結果の「差」じゃないのでしょうか。
なにをもって「格差」というのか、論者それぞれなので、そこを明らかにしてもらいたいところです。
投稿者: 内友 | 2006年04月05日 11:15
日時: 2006年04月05日 11:15
日本銀行が24日発表した資金循環統計(速報値)によると、昨年12月末の個人(家計部門)の金融資産残高は、前年比5・2%増の1509兆円となり、1979年の調査開始以来、初めて1500兆円台に乗せた。
http://news.goo.ne.jp/news/reuters/keizai/20060324/JAPAN-207331.html?C=S
景気回復の証拠がこんなところにはっきりあらわれています。人に言わないだけで「含み資産」を持つ人は意外にいます。
日本は「格差社会」ではなく「格差なさすぎ社会」というのが本質です。
この報道を欧州人が見て日本を格差社会だと思う人はいませんでしょう。
個々の問題はたしかにありますが、概括的に言えば、本当に、身分の差なく、多くの国民があまり切実な不満を抱くこともなく生活できる国です。だから政治への関心も低いのではないかなあ。
投稿者: 内友 | 2006年04月05日 11:15
日時: 2006年04月05日 11:15