昨日、書き込みができませんでした。改めて昨日のコメントです。
吾妻町と東村のそれぞれの閉町、閉村式が行われました。多くの住民に見守られて,町旗と村旗が畳まれ桐の箱に納められました。故郷のシンボルをもう見納めという感じに、多くの参加者の目に涙が浮かんでいました。
しかしこれは悲劇ではありません。自立を選択した町村にも、合併を選択した町村にも同様に不安と困難が待っています。むしろ、故郷作りの最初の一歩になるのです。
しかし、本当にこのような、国家に誘導された、強いられた合併が自治の活性化に繋がるのかという疑問は残ります。それは後数年先にわかることです。国家にも、群馬県にも、この合併が良き結果を生むように積極的な政策を期待します。そうでないなら、合併はただ、村を失っただけになります。
「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし。」との田中正造先生の言葉を思い起こします。
コメント (2)
>故郷作りの最初の一歩
私の故郷も昨年2月に合併をしました。
合併をしてもしなくても大きな困難が立ちはだかることと思います。
しかし、合併した市町村は互いに多くの資源を得ることになります。「人・モノ・情報」をはじめ多くのものを得ることと思います。
そういったものをどう活用していくのか、地域性をどう活かし、守っていくのか。攻めの課題、守りの課題ともにたくさんあると思います。
龍さんの言うとおり不安と困難がありますが、かえって自治体が再生または活性化するチャンスだと思っています。
地方の権限が大きくなれば、責任も大きくなります。
県も市町村も主体的に変わるときにきていると強く感じています。
良い政策があれば行政マンも住民も変わると思います。
私がいつも願うのは、自治体が「躍動感あふれる自治体」であることです。
投稿者: 久保健二 | 2006年04月05日 11:09
日時: 2006年04月05日 11:09
久保さんの合併を再生のチャンスと捉える考え方に賛成です。
この意欲なく、ただの不安で合併にブレークを掛けてきた多くの政治リーダーは臆病か、怠慢なのかどちらかでしょう。
自立を主張した人々は、その後議員歳費を減額させたのですか?
行財政改革へアイデアを出しまくっているますか?
住民へ共に我慢しようと訴えていますか?
多くの政治家は、ただ自立といって立ちすくんでいるのです。
思い出します。2004年12月14日
赤穂浪士の討ち入りにあわせて、吾妻の8町村へ合併法定協議会設置請求を8人の代表が同時刻へ提出した事を・・・・・・・
私の檄文が、我々の法定協議会設置運動のホームページにある。
その時点で私のふる里への焦りが現れていると読み直すと感じる。
『あがつまは一つのエネルギー・・・8人の代表者の趣意
吾妻郡を一つにする試みに私たちの夢を託し、「吾妻郡8町村すべてを同一請求関係町村とする合併法定協議会設置住民発議」を行ないます。しかし、東西それぞれ4町村での合併が頓挫した今、時間的な余裕はありません。合併を地域の発展の前提として考える有志の力を結集し活動を展開していく・・・そのスピードが鍵となります。
現時点では、合併構想について様々な点が明確にはなっていません。しかし、「もう一度、8町村の枠で合併の議論を」と、私たちは活動の核となっていきたいと思います。
この活動は、単なる合併の推進ではありません。まず合併協議会を設置し、その中で合併の是非を議論していただきたいのです。合併の是非を議論すれば、あがつまの将来の姿が見えてくるからです。
ふるさとを守るために、まだチャンスはあります。
本当の自治をめざして立ち上がりましょう。 』
結局は我々は、8町村の政治勢力にほぼ無視された。
8人と事務局の私。9人は捲土重来を期した。
その後、8人の代表格だった萩原渉さんが、前橋・高崎・伊勢崎・藤岡の中心とする「県央に理想都市を造る運動」の中核を担うようになり
私も、県央政令都市の群馬県よりの独立運動を支援するようになった。
吾妻一市構想も県央政令都市構想も遠い橋だ。
でも、歩き続ける。同州制と競争だ。
投稿者: りゅう | 2006年04月05日 11:09
日時: 2006年04月05日 11:09