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明日、本会議

明日本会議一般質問。3日間の議案調査のブランクを経て、明日一般質問の口火が切られる。トップは南波政調会長。吾妻出身。

今日まで、
控え室でデスクに座って鉛筆をもって唸っている方。
執行部のスタッフに資料請求してやり取りしている方。
電話で、関係者に実態の聞き取りをしてる方。
多くの質問者の姿を見た。

さらに今期は、予算議会であり、予算委員会が開かれる。3期の代表で荻原康二議員さんが質問に立つ。一問一答弁方式では、どちらも気の抜けないし、打ち込みが弱いと逆襲を浴びる。質問者は皆真剣だ。この緊張感が好きで私は議会質問が楽しい。特に知事への質問は、同じ政治としてプライドを掛けての勝負であり、大一番の緊張は凄い。

でも同じ政治なんだけれど、全然違う。能力の違いは当然あるが、それ以外に違うことは、拠って立つ民意の違いだろう。でも同じ県民の民意にそれほどの違いはないだろうから、その民意のどこの部分を吸い上げるかの個人の感性の差なのだろう。知事は三次元のX、Y、Zの3軸の奥行きのZが大きい。私はXY面での動きだ。したがって知事のX、Yの数字が変わらず、Zだけが大きく振れるような変化を私には、点にしか見えない。

この辺が、「哲学的な思考力」の差になっている。視覚では、捉えられないZの動きを大脳皮質で感じられる能力のある知事と、そうではない私の差なのだろう。

コメント (5)

政治不信:

県議会での定数議論は身があっていい。政治不信を招かないように願うばかりだ。今国政は、永田議員のニセメール事件で、政党不信・政治不信が拡大しそう。疑惑の核心は、ライブドアを表舞台にした、闇資金のマネーロンダリングという金融犯罪の全容と、永田議員がなぜ業界で相手にされてない元記者N沢と交友関係があるのか、むしろそこだ。民主党もそんなことはわかっているのにそこは追及しない。そしてメイルの贋作性に本当に永田議員が知らなかったとしたらそれも不思議。そこの説明責任が大人の政治家には必要なのに、論点ずらしに躍起で挙句に目黒のH病院に入院。あまりに国民を馬鹿にしているか、そうでなければお粗末な政治だ。
府県・県同士合併が地域によっては現実的課題に挙がっている中、群馬県もしっかりした政治をしてもらいたい。

永田さんと責任:

永田さんがいいことを語っています。
Q日本はどうなったらいいですとか、日本をこういう風にしたいといったお考えがあると思いますが、それはどのようなことでしょうか
A失敗した人は責任をとるような「当たり前」の国にしたいですね。「当たり前」って言葉を軽々しく使うべきではないけれども、今の日本というのは、責任をとらないような国になってしまったんですよね。
http://www.akamon.net/obog.phtml?name=nagata_hisayasu

ryu:

「県議会での定数議論は身があっていい。」との評価。
有り難うございます。予算案の審議がもっと重要でしょうが、この部分での評価が頂けない処が地方政治の課題です。

ただ、議会の定数や議会の海外視察、議会の共済制度などが有権者の関心の対象であることは、議会も自覚しなければいけません。
これらの問題を場外乱闘と決め詰めるのは、自己評価できない議会とのレッテルを受けることになります。自分に厳しい議会でなければ執行者へ厳しくする事はできませんから。

ryu:

永田さんの責任さん。初めまして。
政治の責任の取り方は簡単です。辞職ですから。
でもその辞職は簡単にできません。
これ程、高収入な職を辞することは、人間の慾がさせないのです。
国会議員なら、文書通信費から、公設秘書、議員宿舎、議員会館事務所使用料、政党交付金配当・・・議員一人につき1億円が税として支出されます。欲と正義感、この狭間で永田さんも揺れているのでしょう。

私のHPのお勧め本のページに「けじめを付けろ日本人」という本を紹介しています。以下に貼っておきます。
『戦後50年。いつしかけじめのつかない日本になった。
けじめを付けない事が、いつしか前例となって積もり重なり、上は緩み、下は甘え、問題は先送りされた。そして今日のように不合理で非効率的で高コストで不況の続く日本になった。エリート層の規律の崩壊、道徳心の欠如、無責任の横行、言い逃れや言いくるめ・・・

けじめは元より、嬉しいものではない。しかし、緩みの累積を防ぐためには必要なことだ。その発動を躊躇ってはならない。自己責任の原則を明らかにする事だ。高級官僚は責任を取ったことが無い。「あれは職務上の処置であった。」ですまされる。

民間は市場に 〈三菱を見ろ。雪印を見ろ。〉
議会は選挙で責任を取る。
しかし、官は誰が責任を迫るのか。』

群馬県民:

ここで良いかわからないですが書き込みさせていただきます。
現在の知事と群馬県の対立ですが、
県民の税金を預かる知事、その使い方をチェックする議会。
そのチェック機関を弱体化させろという知事。
県民になんのためになるのだろうか?
パフォーマンスとしか思えない。
でも多くの県民はこのパフォーマンスをする知事に共感するでしょう。
ここで議会は何をすべきでしょうか?
執行部をチェックするという役割を県民に理解してもらえていない。
住民の代表であるにも関わらず住民との距離がありすぎる。
極端なことを言えば、住民と議会が乖離している。
このままいけば近いうちに群馬県民はパフォーマンスに欺かれながら住民自治と言う概念が無くなっていくでしょう。
住民は政治屋の良いように扱われ、挙句の果てには自分の生活を守れなくなるでしょう。
住民が住民の責務と言うものを再認識する機会を作ってもらわなければいけない。このままでは群馬県だけにとどまらず、日本全体が国際社会の中で立場を失ってしまう。

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2006年02月23日 23:47に投稿されたエントリーのページです。

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