2/7のスレッドに対して、「議会の意味」とのコメントが寄せられた本来なら、コメントへのレスの形で書き込みするべきだが、コメントも21を数え、膨らみすぎたので新たにスレッドを立てたい。
2005年の一月。群馬県議会の有志で三重県議会主催の議会改革シンポジュームに参加した。一泊二日。参加費交通費で五万円ほどだったろうか?議会の長谷川議員さんの誘いで参加した。実はその時のメモを起こして、いつか私のHPへ公開したいと思っていたが、メモをタイプすることが怠慢ゆえになかなかできなかった。このメモの中に、議会の役割という一文がある。
その一文は、シンポの中で大森彌先生の講演を書き留めたメモの中ににある。以下だ。
『議員と知事は対立ではなく役割分担である。つまり「議会が住民の声を聞いた政策提言のもとに知事は予算を編成し執行する。」という分担である。これによって完成度の高い自治が可能だ。しかし、圧倒的な知事有利の制度に拠って、議会は自身を限定的に自制してしまっている。そしてある時期から知事は「住民に直接選ばれているという理由によって、議会の三つの機能を侵害してきた。それは「住民代表」、「民意調整」、「自己修正」の機能だ。
そして議会はあたかも行政の内部機関の位置に自らをおとしめたのである。「議会の招集権も知事にある。」などはその象徴だ。そして議会へは、住民は注意を払わなくなった。議会活動を如何に行っているかも理解されずに議会は無用と見られる傾向にある。』
そしてその講演の終了後の討論で千葉宮城県議員が発言して中身がメモに残っている。
『監視機能と立法機能を強化する事で、県民の信頼できる議会を目指している。議会バスや宿舎の廃止で浮かした経費で調査能力のアップをした。条例提案のスキームを作ったり、専門的なアドバイススタッフを置いた。』
さらに襲田県議長会事務局長の発言もメモにある。
『三位一体改革で税率も地方が決める。それを知事が先決処分するのは可笑しい。』
『地方には執行は在ったが、政治はなかった。』
妹尾松山大教授
『年四回の議会でなく、月一回議会などの検討が必要だ。知事と違い、複数の県民とのチャンネルを持つ住民代表機関として、日常的に“住民の代表者機能を果たしているぞ”とアピールすべきだ。』
最後に大森先生の言葉が印象的だった。
『知事を選んだ民意と議会を選んだ民意とがずれてしまったとき、住民の最後の砦が議会なのだ。』
コメント (12)
2月7日のほうにレスつけようと思いましたが、21件ということで
場所替えということのようですから、こちらへレスします。
>M.FUSEさん。
知事定例会見の件、情報ありがとうございました。
私も、知事は行政官として非常に有能だと思っています。何しろ旧自治官僚ですから優秀です。45人とした、彼なりの根拠はわかりました。
ただ、会見(2月6日)の中で、基礎的間違いがありましたので余計なお世話かもしれませんが訂正すべく指摘させていただきます。
>新しい選挙区でやるべきであるというふうに思います。これは法律に>のっとって地方自治法では郡市の単位によるということになっていま>すから、
この部分の「地方自治法~」の部分は、「公職選挙法では(選挙区は)郡市の区域による」であります。
細かいことですが、地方自治法と公職選挙法を扱う部署も本省では別れているのですから、定数と選挙区を定める法が別であることは、非常に基本的なことだと私は思います。何事も大きなこと成し遂げるには、基本・基礎の積み重ねですからね。
それを勘違いしたとは(としても、間違いは担当部局で一読すればわかることですから、訂正した上で掲載すべきと考えますが)どうしたことでしょう。
投稿者: 内友 | 2006年04月05日 10:03
日時: 2006年04月05日 10:03
私も地方自治法と思っていました。
投稿者: ryu | 2006年04月05日 10:03
日時: 2006年04月05日 10:03
ryu様、新しいスレッドを立てていただきありがとうございます。真摯なご対応に感謝いたします。
いくつか論点があるように思えます。
まず、住民の意見を聞くとは何か
私の考えに過ぎませんが、人は、大きく2つの側面から把握していく必要があるように思えます。一つは自然的存在つまり生物としての人です。個体差があるにせよ、大枠で同一の機構をもった存在です。これを根拠に、例えば端的に医療等が成立しているかと思います。
もう一つは関係の束としての人です。その人はどこに住んでいるのか、その場所はどんな風土があるのか、その人の暮らしぶりはどうであるのか、どんな家族関係なのか等々、無数の関係の中に置かれ、その中で新たな関係を紡ぎだしている存在としての「人」です。
住民とは「そこに住んでいる人」ということだと思います。ですから住民の意見や気持ちを聞くとは、一方で生物としてのありようを意識しつつ、一方で目くるめくような代替できない関係の束を受け止めていくことだと思います。
いいかえれば、「住民」それぞれは、絶対に同じで有り得ない具体像(それが豊なものであれ、どんなに荒廃したものであれ)持っていることになります。
言葉として「住民の意見を聞く」とは、たった8文字のことですが、その実現は、不可能と同義といっても差し支えないかと思います。その意味では議員の方々のお仕事の一つが「住民の意見を聞く」ということであれば、不可能をお仕事にしておられるということになります。これが極北の私の理解です(一方で議員を送り出した住民もその不可能を、実はよくご存知なのではないでしょうか。このことは、逆説的ですが私は唯一の可能性だと思っています。ともに不可能を生きられるのであればこんなに素晴らしいことはないと思うからです)。
話しを戻すと、議員のお仕事は、ですから原理的に限定的にならざるを得ないはずです。その限定性の中で、何が可能なのか、ということではないでしょうか。
投稿者: koro | 2006年04月05日 10:04
日時: 2006年04月05日 10:04
koroさん。こんばんは。
私は全ての人の声を聞いては居ません。
「県立美術館にピカソの絵を購入して欲しい。」なんて言う声は、耳元で叫ばれても、私には聞こえません。
私にとって、(議員それぞれ、様々でしょうが・・・)政治の助け無しに充分に暮らせる方は、その声を聞く対象ではありません。
議会は多種多様の県民チャンネルという言葉はそこにあります。
私にとっては、「政治の光を必要としている方だけが、政治の対象です。」
それは政治基盤、あるいは支持基盤との言葉で言えば、少し違って感じますが、傍目からみればその言葉通りかもしれません。
龍は社会の一部しか代議していないという意見もありましょう。
【しかし私は財政民主主義=税によって社会全体を支えようとのコンセンサスからみて、税の恩恵を受けないで負担だけしている方も理解してくれると感じますし、さらには道路や環境維持という共有財からの恩恵を受けていない人は居ないのですから。】
さらには、議会はそれぞれ違った基盤をもった議員が、それぞれの声を聞いて、自分の頭で考え、整理して、他の考えを持つ議員を説得する場所です。
そこが、知事との最大の違いです。
知事は、一つの耳で、一つの頭で考え、決めます。そこには説得すべき相手はいません、説得のために発する言葉はありません。
知事の政策が思いつきに感じる理由はそこです。
知事は「議会は密室だ。」と良く言います。私は「知事の頭はブラックボックスだ。」と感じます。
私と違う、支持基盤の声を聞いて、自分の頭の中だけで考えるのなら、それは、私と相容れないのは当然です。
私も、一部の声しか聞いていないことは認めます。しかし多様なチャンネルと持つ多数の議員の議論によって偏在性が緩和される議会こそ
全体とすれば、民を代議しているといえましょう。
投稿者: りゅう | 2006年04月05日 10:04
日時: 2006年04月05日 10:04
ご返事ありがとうございます。
■「多様なチャンネルを持つ多数の議員の議論によって偏在性が緩和される議会こそ」
↓
「全体とすれば、民を代議しているといえましょう。」
は飛躍があるかもしれませんね。確かに説得や議論を通して議会内の偏在性は緩和されるかもしれませんが、その緩和が民の代議に直ちにつながる根拠はどうでしょうか。
市町村合併で多くの市町村が執行部⇔議会⇔住民の間でのねじれを体験したのはまだ記憶に新しいところです。仕組みとして、市町村議会も県議会も同じであれば、同一のねじれがあることを予想しなければなりません。議会内コンセンサスと住民コンセンサスには隙間があると認識なさる方が、少なくとも、現在は妥当だと考えます。
■「知事は、一つの耳で、一つの頭で考え、決めます。」
知事に限らず決める権限を持つということはそういうことではないでしょうか。
ただ、かつて石原都知事が都庁というのは、絶大な情報収集能力を持っていると口にしていました。
規模は小さいかもしれませんが、群馬県庁も同じでしょう。例えば地域の暮らしそのものを仕事とする教師、警察官、介護認定を行う保健師、あるいは山本議員の選挙区である吾妻郡にも、民生委員(県職員ではありませんが、県組織周辺の人々とはいえるでしょう)の数はおそらく数百人はいるのではないでしょうか。などなど、情報収集の耳は、到底一般の組織が太刀打ちできるものではないでしょう。
単純にどれだけ多くの数の住民の声を聞いたかということであれば、県の施策の背景にある「住民の声」は、圧倒的であるし、また県側は施策の根拠としてそう発言すると思います。
議員の皆さんは、数ではない質なんだ、あるいは問題は住民の声の聞き方なんだと言われるのでしょうか。
少し説得力に欠ける感じがいたします。
■
だから県の言い分が正しいのだといいたいのではありません。「住民の声を聞く」ということの不可能を先の発信でいたしました。圧倒的な情報収集力を持つ県組織であっても限定的であることには違いがありません。その上での方法論こそが問題なのだと思います。
投稿者: koro | 2006年04月05日 10:05
日時: 2006年04月05日 10:05
「議会の機能とは」・・・難しいテーマですがひとこと言わせてください。
住民の声を聞く=全部の意見は聞けない=住民の意見を聞くことは不可能 という意見もわからないではありません。しかし議員が全部の意見を聞けないからといって住民の代表性に問題があるというのはやや飛躍だと思います。
問題があるとすれば、様々な住民意見を議員が取捨選択出来ていないと言う点ではないでしょうか。住民意見には多分にエゴ的ものが多いと思いますが、中には社会全体を良くしたいという建設的な意見もあるはずです。そういう意見を見つけだし、拾い上げ、磨き上げて行政を動かすのが議員の本分ではないでしょうか。
しかし、現実はどうか。多くの議員(ryuと言うことではないので誤解のないよう)は、個人を利するだけの意見や地域エゴを行政に取り次ぐ役割に終始し、公共性の高い貴重な意見を生かし切れていないような気がします。
「今の社会はこのままでいいのか」という気運が、非常に高まっているときに、議員がなすべきことは「社会全体がどうしたら良くなれるか」が最重要事で、個の利益代弁をしている場合ではないでしょう。
住民も変わってきています。ボランティアは当たり前の時代です。多くの住民は「公共性」を自分のものとし、社会全体を良くしたい、社会に貢献したいという人が増え、社会全体を見わたした建設的意見を言うようになったと思います。このような意見を拾い上げる事が十分出ないような気がします。
社会の動きに、議会が少し取り残されつつあるような気がします。住民参加は本来は議会に対する動きであるべきです。しかし、議会が遅れたため、行政への直接参加の流れが出来てしまったのではないでしょうか。冠婚葬祭などで忙しすぎた事情はよくわかりますが、その間に人々は先に進んでしまったということではないでしょうか。
失礼な点もあろうかともいますが批判のつもりではありません、ファンなればこそです。悪しからず。 ---Your fan---
投稿者: your fan | 2006年04月05日 10:05
日時: 2006年04月05日 10:05
内友様
そうですね。確かに言い誤りがありましたね。地方自治法ではなく、正しくは公職選挙法ですよね。何故、間違えたかは知るよしもありませんが。山本議員のレスポンスが良くなったので、私はここいらへんでフェードアウトします。
龍ちゃんへ
夕べも同窓の仲間数人で飲んだくれましたよ。もうみんな立派なオジサンですよね。
投稿者: M.FUSE | 2006年04月05日 10:06
日時: 2006年04月05日 10:06
Koroさん。こんばんは。
『議会内コンセンサスと住民コンセンサスには隙間があると認識なさる方が、少なくとも、現在は妥当だと考えます。』
勿論同感です。議会が特権的な共済制度改革に取り組みが遅い。ことがその象徴でしょうか。
合併における住民コンセンサスと議会のそれは多く違っている場面がありましたね。
私は、議会の議論の結果が住民を代表していることは理想だと思います。それに近づく努力をする議会でありたいと思っています。
『単純にどれだけ多くの数の住民の声を聞いたかということであれば、県の施策の背景にある「住民の声」は、圧倒的である。』
だからこそ、民主的な権威としての知事を自治制度は優先しているのです。
私の主張は、その圧倒的多数の声のどの部分を吸い上げるか?その作業こそ政治だと思います。
その作業の課程に、議会はその独自チャンネルの先には一部の声しかなくても、議会はその作業の課程に声を反映させるべきです。
Koroさんは、どの様な『理想の議会像』をお持ちなのではないでしょうか?興味があります。たぶんそれは私の理想にもなるはずですが。
投稿者: ryu | 2006年04月05日 10:06
日時: 2006年04月05日 10:06
Your fanさん。こんばんは。
『社会の動きに、議会が少し取り残されつつあるような気がします。住民参加は本来は議会に対する動きであるべきです。しかし、議会が遅れたため、行政への直接参加の流れが出来てしまったのではないでしょうか。冠婚葬祭などで忙しすぎた事情はよくわかりますが、その間に人々は先に進んでしまったということではないでしょうか。』
残念ながら同感です。「これは無駄ではないか・」という事業を止められないのは議員の責任でしょう。多くの場合、他の
議員チャンネルの政策には関与しないような雰囲気もあります。私もかつて他の議員の推進する施設建設事業に反対し
怒られた経験があります。その場、その立場にならないと判らない事が多いから、他地区の議員が意見を言われるのは心外という感情は判りますが。
住民参加は議会が主導するべきだ。」との意見、大賛成です。
知事は多くの審議会を作っている。本来は審議会は議長が設置するほうが良いと思っている。自治法上議会は外部機関をもてないと記憶するが。
私にとっては市民オンブズマンすら、議会にとっては有益な団体であると感じている。
彼らは、議会の調査費などの厳しい指摘を行うが、自己修正の切っ掛けにすればいい。むしろ、群馬県における7億円のカラ出張を暴いたのは彼らだ。
葬式で忙しい議員さんは、今の群馬県議会にはいません。しかし冠婚葬祭は政治活動の部分であることは否定しません。
M Fuseさん。こんばんは。
46才は老いを感じることがあります。
妻に「額に縦皺が・・・知事さんみたいよ。」と言われました。
お互いに健康に気遣いを。
投稿者: ryu | 2006年04月05日 10:07
日時: 2006年04月05日 10:07
ryu様、私のたどたどしい発信にお付き合いいただきありがとうございます。
これから、おそらく、少しばかり違和感のある発信をしたいと思います。最後まで読んでいただければ幸いです。
私は知事が標榜する「子供を育てるなら群馬県」というコンセプトを2つの面で優れたものだと思っています。
ひとつには、よく目にする「緑溢れる…」とか「潤いに満ちたあれこれ」とか「輝かしいどうのこうの」とかといった元気はいいかもしれませんが、ほとんど無意味な言葉の羅列に過ぎない市町村のコンセプトとは一線を画し、どこか内省を強いる部分があるからです。これは私の個人的な感想ですので、どうでもいいことかもしれません。
もうひとつは、議論の武器としての使いやすさです。この場合、武器とは、議論のテーブルを創出する力と言っていいと思います。つまり、「子供を育てるなら群馬県」ならば、「子供を育てるなら吾妻郡」であるし、「子供を育てるなら草津町」と展開するのは当然のことだからです。
your fanさんがおっしゃる通り、問題は「様々な住民意見を議員が取捨選択出来ていない」ことにあると思います。これは、実は、議員ばかりでなく、圧倒的な情報収集力を持つ行政にも妥当することです。
取捨選択ができていない、ならば取捨選択をどのような基準で行うのかが問題になります。その選択基準が明確に公知のものでなければ、恣意的な判断と見なされても仕方の無いことです。
随分気持ち悪い光景かもしれませんが(^^;)、例えば山本議員が吾妻県民局との折衝の場面で、本題に入る前に「子供を育てるなら群馬県、子供を育てるなら吾妻郡」と唱和をしてみる。そこには議論のテーブルが出来ているはずです。県議会開催初日に、「子供を育てるなら群馬県、子供を育てるなら吾妻郡、子供を育てるなら太田市…(以下全選挙区)」と唱和してみる。ものの5分もかからないことでしょうが、議論のテーブルが公知のものになっているはずです。
大げさな話ですが、冷戦終結後、多くの組織が変貌しているかと思います。予定調和的な様々な対立構造は崩れています。つまりあるべき姿というか、所与としての姿を見失っているということだと思います。このことから組織の変貌の方向は、推測ですが「理念協働型」になっているのではないでしょうか。
県民は「子供を育てるなら群馬県」という理念を持つ、小寺知事を選らんだのですから、「子供を育てるなら群馬県」をあらゆる現場で理念協働的に徹底的に進めることこそが、その理念の限界も、また可能性も検証できるのではないでしょうか。それが議員に付託された責務だと、私は考えます。
*余談です。おそらく「子供を育てるなら群馬県、子供を育てるなら吾妻郡」の唱和で、最も苦々しい気持ちを抱くのは県スタッフではないかな、と邪推しています。
投稿者: koro | 2006年04月05日 10:07
日時: 2006年04月05日 10:07
内友様、フセ様。いつもロムだけでしたが、私も、県のホームページをみてみました、*がついてて、指摘のとおり公職選挙法に訂正済みでした。このホームページは県の役人の人達もチェックしてるわけですか。いろいろためになります。お気に入りに登録しましたからこれからもここを訪問します。
投稿者: 木村 | 2006年04月05日 10:08
日時: 2006年04月05日 10:08
議会評価の第三者機関
別スレッドですが、関連ですのでこちらにします。
しっかりしてください、山本議員^^。
第三者機関のオーソライズはどうやってするのでしょうか。
議員の方々に望むのは、自らの理念と論理と実践(それらのどこに重点を置くのかは個別でしょうが)で正当性を確保することです。正当性の根拠は、市井の人々の原像に求められることは言うまでもありません。
投稿者: koro | 2006年04月05日 10:08
日時: 2006年04月05日 10:08