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猫のもらい手。未だ現れず。

これで一週間。私のボロ事務所に猫が3匹居候している。保健所で処分される猫を引き取っている方からの一時預かりのつもりであったが、長期預かりになりそうな気配だ。

思い出すのは20数年前、妹と暮らす東京のアパートに、「捨て猫協会」から貰った猫が来た日だ。その「ミーちゃん」も10年ほど生きてから草津の実家で死んだ。

そして山古志の避難所にみえた新潟県の動物愛護団体?の婦人。「村にペットたちが、残されている。救出しなさい」、受付にいた私へ1時間、涙で訴えられた。

こんな事を考えながら、ミーミーなく3匹に手を焼いている。パソコンのコードに絡まってプラグを抜かないで欲しい。

コメント (2)

内友:

昔の雪下ろしはどういう風にしていたのでしょうね?
地域の『力』がそこに根付いていたのでしょう。
もちろん、若者もいたでしょうが、高齢者も含めて、必要な身の回りのことは『自分たちでする』という意識が普通にあったのではないでしょうか?
そういう地域社会の見直し、再構築ができれば一番いいのですが、難しそうです。若者は容易に戻らないし、高齢者に別の場所に移り住めともいえない。
しかし、そこに「すみ続ける決断」をする以上は「自己責任」の原則でしょう。ただ、必要最小限のお手伝いをするのは行政の責務。
豪雪地帯に住むという決断、すなわち、
自然に寄り添って生きる、という生き方を選択するのもすばらしいと思う。雪原にきらめく陽光、もうじき春だな、と感じるあの雪国の解放感は格別なものがある。

りゅう:

家庭や地域の力の不足が問題を大きくしています。

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2006年02月05日 20:32に投稿されたエントリーのページです。

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