1月28日の上毛一面に「海外調査費計上せず」の大見出し。中村議長はコメントで「議会で委員長が報告している以上、説明責任を果たしている。」と表明された。しかし県側は、「海外調査の結果について議会が県民に対して説明責任を果たしていない。」と断言している。
私は議会の代表者である議長の意見に賛同する。議会先輩諸氏の中には、議会への権利侵害を訴える意見も聞かれる。しかし、生意気な発言だが、自分の論理に固執して主張だけを繰り返しているのでは、農政理事と同じ次元になる。時代に合った形に聖域無しに取り組む姿勢を議会も見せよう。あのマスコミの報道で多くの意見が寄せられた事実を、我々は精査して自己改革を行わなければならない。
改革のスピードを知事と競わなくてはならない。国会では不完全ながら、「議員年金の廃止」が議決された。一方我々の地方議員年金共済制度の改革は47都道府県の代表機関である全国議長会での議論に任されている、私のような一議員の意見聴取はない。年金共済制度存続の論理的な意見があることは承知している。「年金がないような仕事に生業を捨ててなるような人はいない。」といわれる。しかし私は年金があるから議員職へ挑戦したのか?少なくとも全ての群馬県議会議員が、その事を政治への挑戦の理由にしては居ないだろう。又、「国会議員年金より優遇されていない。」との意見もある。例え自己負担が国会議員年金より多いだろうと、給付金が少ないであろうとも、議員に退職金は無いのであろうと、我々の議員年金に掛け金の70%分の税金が支払わられている以上、また他の年金との合算給付がある以上、地方議員年金は特権的な年金であるという事実は国会議員年金と変わらない。
いま「政治改革」という変化が進行している。しかしその多くが国民への負担を強いる改革である。まず改革は自己を律する、自己改革であるべきだ。
今回の海外調査の予算上程に送りはそう言う意味で、我々の自己改革を促進する機会とするべきだ。しかし残念ながら、予算編成権をもつ知事の側に、その意図があるのかは不明確だ。むしろ今回の予算上程見送りで新たな政局を作りだそうとする意図が滲んでいる。つまり「守旧派=議会VS改革派=知事」の構図作りだ。国民県民世論を盾に議会を幼稚で自己権益に固執する集団としてアピールする機会と知事は考えているのだ。その事の一つが、「議会生中継」予算だ。この事は議会広報委員会のメンバーである私が直感している。
18年度予算における、議会広報の拡充分野で我々広報委員会の議論は、インターネット中継とそのライブラリー化だった。その為に予算800万円を必要とする。そこで既存の広報事業であった、群馬テレビ議会番組(週一回30分)を廃止してその予算を充てることを考えていた。その趣旨で議会事務局は全庁での予算編成に要求した。ところがその予算が削られるどころか、3000万円の群馬テレビの議会生放送に化けたというのだ。
つまり知事は、議会との一問一答方式の本会議を対決の格好の自己アピールの場として県民へ周知させたいという思いを持っていると感じるのだ。この事は私の勝手な妄想ではないだろう。一問一答方式は諸刃の刃だ。斬り掛かった剣が刃こぼれしていれば、切り返される。つまりは必殺の議場なる。しかも我々は、調査機能のほとんどを知事の配下の職員に委ねている。刀の研ぎを相手の門弟に任せている状況だ。資料も数字も全て知事が握っている(民主党が年金改正法案を政府が数字を握っていて作れなかった。例がある。)。一問一答の方式の前に、議会事務局の調査権の拡大などの研ぎ師の育成が必要だったと感じる。
しかし自分が広報委員会で必要だとした、「インターネット中継」が、形を変えて地上波放送になったのだから、これを反対する理由はない。この映像を群馬テレビから提供を受け、ウェブ用に変換すれば、立派な議会本会議のライブラリーを議会ホームページ上に公開する事ができる。
話は飛んだが、今我々は改革のスピードという剣を研いで、知事と斬り合う事を、我々の知らない脚本家に強いられようとしている。我々の好むと好まざるに係わらず。これが住民代表議会と権力者との自然な関係なのだ。