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前橋の友人の父上通夜への道中、考えた

朝から気合いが入っている。月曜日はいつもこうだ。何しろ土日の二日間。役所は休みで仕事はやろうとしても機能停止。つくづく我々議員の仕事は役所との意見交換から始まるということを実感する。それでも土曜日は、県庁のボランティア課が水上藤原小学校の除雪作業の受付で休日出勤してくれて、明日の作業の段取りができた。うれしいものです。参加者が満員になったとのこと。善意が溢れている。

私は夕方、前橋の自民党関係の友人の父上の通夜に出席。その後吾妻に戻り、倉庫からスキージャンパーを引っ張り出して明日に備える。長靴に入れるカイロも用意できました。

ある挨拶状を書いている。その文句が必要になって、コンピュータの中にある昔のホームページ挨拶文を探し出した。この文章を私は気に入っている。こうだ。



私の新たな政治目標への一歩がはじまりを予感する。」 山本 龍

2004年4月9日市町村合併への動きが、日本中で起こっている。吾妻郡も、2つの法定協議会において、それぞれの合併への協議がはじまった。法定協議会において、地域の将来が如何に有るべきかを話し合われる。単独のままで行くより、夢があると判断されるなら合併を進めるべきである。夢を持たない合併はあり得ない。全ては議論と政治のリーダーシップだ。しかし、新自治体の名称が法定協議会の混乱の原因になって合併が破綻したという新聞報道をよく見かけます。

新市の名称は、大きな問題ではないのですが、これが合併議論の大きな争点になっている場合が多くあります。嬬恋村における、自立・法定協参加の双方の運動チラシのなかにも、「嬬恋の名前がなくなる。」という自立派の主張が書かれたものを拝見しました。しかし、この争点は、些末な問題で、合併の功罪の議論や本質をはぐらかせるのではと危惧を抱いています。今回の合併の最大の目標は、地方分権のうけ皿でもなく、国の財政破綻と地方への支出削減でも有りません。私が思う最大の合併効果とは馴れ合いの濃度を薄めることです。

たとえば

同一高校出身の職員、
狭い経済の閉鎖性、
競争のない寡占市場、
だんな衆・・・

合併で閉鎖社会を開放する。濃密な血縁関係を薄める。ぎっちりした分子結合をゆるめる事。つまりは同一性の打破です。異端を受け入れる精神を築く一歩です。この新しい精神によって、社会に新風が吹き込まれ、しがらみや澱みは打ち流される。ただ市町村が、交付税や特例債の確保のために拡大するだけなら合併の効果は期待できなしでしょう。

前例踏襲によって続いて来た悪癖を根絶やしにする為に、最大で最後のチャンスがこの市町村合併です。地方政治家はその目的を高らかに人々へ伝えるべきです。これが今の政治家の新しい使命です。このチャンスは群馬県という組織に来るのか?残念ながら都道府県合併や道州制への道筋は、まだ不明確です。合併という外科治療を使わずに、群馬県の旧弊という癌細胞を除去する。これで初めて、合理的な行政財政の改革ができると信じます。その果実を納税者に還元できるシステムを作っていくのが群馬県の政治の本当のミッションです。

私の思い描く、このミッションへ達成への方法は私が公的な質問や発言で申しているより、遙かにラディカルです。スクラップ&ビルドなんてソフトな言い回しでは足りません。破壊と創造です。革命という言葉が似合っています。しかしまだ、文章で発表できる段階ではなく、わたしの心のなかでの思いです。断片的な、うめき声にすぎません。これをロジカルな400字に纏まられれば、確信を持った私自身の新たな政治目標への一歩が踏み出せると信じます。それは旧弊破壊の戦いです。そして自身も傷つくことを覚悟しなかればなりません。しかしこの戦いのあと開かれた扉の向こうには、いままで誰も見たことのない、政治の仕組みがあるんです。それをみんなにお見せしたい。



いよいよ、この私の脳細胞にうごめく思考のカオスがまとまりを見せようとしている。400字でなく4000字の言葉の羅列だが、これが確実にあるベクトルに収斂しようとしている。そのベクトルの槍はもうすぐ、それが雷のイカズチのマークのように私の拳に握られるだろう。どの様な盾をも貫く思考の槍を私はもって弁論の戦いに挑むのだ。

コメント (2)

雪原の野兎:

これほどまでにあなたを突き動かすもの・・・それは何
閉塞した状況への怒り あるいは生活に追われる寡黙な
人々への愛 カルチェラタン 駿河台 見果てぬ夢

りゅう:

有り難うございます。野兎さん。
モットも、コメントが私への激励であると解釈して御礼を言いましたが
反対に、ドン・キホーテの無謀をお笑いなのかも知れませんが。

どちらであろうと、私には賞賛の言葉です。
吉田松陰先生、大塩平八郎先生、田中正造先生は滑稽な挑戦者でしょう。滑稽でもいいのです、笑いたい方は笑って下さい。

彼らの多くは死を覚悟していたでしょう。勝てると思って挑んだドンキホーテとはそこが違います。私も同様に政治生命の終焉も覚悟しています。しかし歴史上の偉人とは違い。あきらめの心情も多く感じています
もう議員として私のやれる事は果たしました。
私の議員としての役割は充分終えたのという意味と群馬県政における議員としての限界を知ったという二つの意味ですが。

今の県政の中では、議員職は政治的使命達成能力を失っているのです
もはや私ができる全ては自爆攻撃にも似た行いなのです。

議員として県政の真ん中で庶民を踏みつけるような予算書を見続けることは私にはもうできません。

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2006年01月30日 22:21に投稿されたエントリーのページです。

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