小学校6年生の長男麟太郎のチーム「図南吾妻クラブ」の小学校公式戦最終試合が行われた。私は少しだけ、その試合を見る事が出来た。大きな雪の塊が降り続けるグランドで22人の子供と審判が蜃気楼のように見える。とても素晴らしい機会を子供に与えて貰えました。
輝く思い出の6年間が終わりつつあることを実感します。
子供に与えられる喜びがたくさんあったと感謝します。
彼は、ベンチの応援で最終戦のグランドにでる機会はなかったようですが、仲間の応援をしている様子を嬉しく感じました。
私には2人の子供がおります。麟太郎 桜子。最近、彼らによって励まされ事ばかりです。夜、彼らの寝顔にしつこくキスをして、寝言で怒られます。子供がいる喜びを知りながら、子供が少なくなったのは何故?それは、我々親たちが、「子供達が未来、厳しい競争の世界に追いやられる。」事を予感しているからです。『希望格差社会』という本を「龍のお薦め本」で紹介しています。そして『グロテスク』も紹介したい。『OUT』 『柔らかな頬』など、単なるミステリーにとどまらない作品を生み出してきた桐野夏生が大企業の女性エリート社員が殺された事件を題材にした作品。その本の著者インタビューで以下のように言っている。
「私ね、この世の差別のすべてを書いてやろうと思ったんですね。些細な、差別と思っていないような差別。お金も美醜も、家柄も地域も、勉強できるできないも、全部の小さな差別をいれていこうと思ったんですよ。エリートになればなるほど、たぶんものすごい差別がいろいろたくさんあると思うんです。競争が激しい。それが女の子の場合、もっと複雑になるというのかな。厳しいんじゃないかと思うんですよ、女の子は。」
(「本の話」7月号 『グロテスク』著者インタビューより)
ライブドアの社長や投資ファンドを率いる人々を成功例に思えば、自分の子供たちが、そうになれないことは多くの親のあきらめです。成功者、勝ち組には到底成れないとしたら、子供達を生み育てる気持ちは萎えてしまいます。でも彼ら達だけが成功者なのでしょうか?彼らだけが幸福なのでしょうか?
その尺度で言えば、私は勝ち組ではありません。個人として消費できるお金は日本の平均以下でしょう。貯金もありません。定期も普通も0です。余裕資金があれば、県政報告新聞を一回でも余計に出したい、と思います。「よく平気でいるな?」と不思議がられるでしょうが、それでも毎日を幸福に暮らせています。
子供達にも、社会を支えることに満足する事をいつも言っています。ユニセフの募金を強制して、嫌がられていますが。でも「選挙だけはやらないで欲しい。」と願っています。
今の子供達が、慎ましくも幸福に暮らせる社会にする事を、政治の一員として前進させていきたいと思う。
コメント (4)
政治の話とはかけ離れてしまいますが、私個人、貯金は0、年収にしても平均以下、もちろん贅沢どころではなく、貧乏な暮らしをしています(笑)。だからといって、自分を負け組だとはこれっぽっちも思っていません。貧乏とはいえ、食うに困るわけでもなく、借金を抱えているわけでもなく、良い仲間と自由な時間を持ち、儲からないながらもやりがいのある仕事を続け、ささやかながらも幸福な人生を歩んでいると思っています。唯一不安なのは老後のことでしょうか。まだまだ先のことですが・・・。
県政のことは何も分かりませんが、知らない事が「幸せ」なのか「不幸」なのか・・・。地元の事はほんの少し知る機会もありますが、知らない方が良かったと思えることが多いような気がします。知ることが幸せに感じられる、そんな政治なら、よく言われる若者の政治離れもなくなるのかもしれないですね。
投稿者: Baco | 2006年04月04日 16:09
日時: 2006年04月04日 16:09
老後のことは私も同感です。
議員年金と言っても三期12年、毎月八万円ほどの掛け金を払って
65才からの支給です。8万円×12月×12年で1000万円も払い続けます
ただし、71才まで支給されれば、それからは支払金額より多くなりますが。これも今の制度ですから、改正されるでしょう。或いは廃止されるでしょう。国会議員はこの倍ほどの支給水準で、さらに自己負担よりも多い財政負担があるようですが、これも国民年金、厚生年金、共済年金への一元化が進むでしょう
そうすべきです。老後の不安が、「政治よりも蓄財に走る。」との反論もあるようですが、それは選挙で蓄財に熱心な候補者を排除すればいいでしょう。
しかも、同じ痛みを持たなければ、真剣に老後のセーフティーネットの議論ができません。自分だけは安定な老後を保証されている人間にとっては、この議論は、遠い課題です。
さて、この県議会の議員年金制度を廃止しようと言う、運動も起こっています。私もこの日記にも「年金廃止論」を書き込んだことがありますが、それも現実になりそうです。国会が廃止を検討するなら地方議会も
廃止を含めて検討すべきです。この場合は47都道府県議会の全体の問題ですので、協議は困難でしょうが、前進すべきです。
しかし、この廃止によって、地方議員の老後が安定しなくなる事は事実です。我々は知事の様に、一期4年で5000万円の退職金が貰える訳ではありません。小寺知事の場合は4期ですから既に2億円の退職金が引退時に保障されています。
議員職は退職金制度はありません。しかも、12年より一日でも早く退職すれば、例えば他の選挙に立候補した瞬間、自分の掛け金の支払い済み総額の8割を返金して貰えるだけです。
でも。年金があるから政治を行っているのではありません。
人生の一時期を政治職という役割を負って社会へ奉仕したいという意欲のある者だけが、議員を行えるのです。
これが退職金制度を持つ首長とは違うところです。国家公務員の霞ヶ関のキャリア官僚が、次官級で退職時8000万円、その後公団公社の理事や理事長を渡り歩いて、2億円近い退職金を貰える事は有名です。同じように、自治省の官僚は公団公社の代わりに地方自治体の幹部職員を転々として退職金をため込みます。自治省を退職時に貰って、都道府県職員を退職時に貰って、出納長や副知事などの特別職を退職時に貰って、そして知事になった人は、知事一期で4500万円の退職金を貰うのです。まさに高級官僚の渡りと一緒です。最後の知事は選挙がありますが。
生活のために議員になっていると私は感じたたことはありません。
だからこそ、私も老後は心配です。
さて、自分の心配と同様に、今の青年層にニートと呼ばれる人々はもっと深刻でしょう。いま1000万人ものニートと呼ばれる人々がいますが、彼らの多くが年金未加入者であるとしたら、今から30年後、大量の無年金者が日本中に発生します。
まさに、年金改革は緊急の課題です。同時にニートへの職業人教育は
長期的な日本の課題であると言えます。
投稿者: 龍 | 2006年04月04日 16:11
日時: 2006年04月04日 16:11
訂正です。
中央官僚が地方自治体職員になる場合は、退職金はその地方自治体職員を退職時に合算で、一括し払われるとのこと。でも結局は同じだが
その都度、支払われるとの書込は訂正します。
投稿者: 龍 | 2006年04月04日 16:11
日時: 2006年04月04日 16:11
ニートとキャリア官僚組の差は?と考えてみました。
一番の差は「能力と意欲・意思の力」でしょう。
原則論から言えば、努力、能力の差による待遇の違いは、これは差別でもなんでもない。資本主義社会の大原則であるし、憲法上も14条の平等は「相対的平等」であるから合憲。26条をみても「能力に応じて等しく教育を受ける」とありますね。
かつて日本でも「働かざるもの食うべからず」といったように、古来日本は非常に資本主義的だった(戦前は特にそう、今よりはるかに階層社会で格差社会、今ははっきりいって「格差なさ過ぎ」ともいえます
格差のない社会がいいかどうかは議論があります)。
「能力に応じて」格差があって当然ですし、それが社会の発展の原動力ですから。
ただ、しかし、能力・努力を「超過した」利益や役得は、ちょうど「適正利潤」に対する「超過利潤」のようなもので、それが甚だしいと、社会的正義や社会の納得を逸脱する。これは避けねばならない。
抽象的だが過激にわかりやすく喩えてみよう。
例えば、実態は2割くらいだろうか、地方公務員の時間つぶしと能力のない仕事ぶりがそれである。まず彼らは民間企業ではお払い箱である。それが資本主義社会である。
官僚は一般に適正に能力もある上、努力する。しかし、一部とはいえ、能力も低く、働かない地方の公吏が給与をとるのはもはや「超過利潤」といってよいだろう。もちろん官僚でも能力が低ければ同様だ。退職してもらわねばならない。
国民が公務員の『役得』等を「超過利潤」と認識し始めたら、もはや政治はうまくいかない。
それを事前に察知してどうしたらいいか、忙しい国民にかわって専門的に考えるのは、政治家でもあり、また官僚でもある。だから、情報収集力が法律を裏づけにして権力という形で備わっているのである。
高度成長でパイが広がる時代背景ならば、角栄的なアメーバー政治がまかり通った。しかし、人口減少のパイが縮小する社会では、もはやそういう手法は有効ではない。これからは原理原則論を大事にする政治が、政治が実現すべき「公正と正義」を担う時代だろう。それが証拠に、原理原則論で政治をする小泉政治が金権支配の経世会政治を打破した。これに「抵抗」するものは、かつて「超過利潤」を得ていたもの、いわば社会の「寄生虫」である。
たしかに、キャリア組の「渡り鳥」による、退職金の蓄積システム、これからの時代状況下では見直しが必要なことは私も認める。それが官僚の矜持だからだ。
つまり、時代のパラダイムが変化した今、昔の「役得」は正義と認識されなくなってきたということに、いち早く気がつき是正してこそ、キャリアの矜持だと思うからだ。もし、それを実感できないということなら、そのこと自体、キャリア失格かもしれない。
小泉総理が、議員であるときに、20年勤続表彰を辞退したことに始まる、『役得』改革は、その後、首相になってから、廃止になり、さらに議員年金も廃止される実感すべきだ。
投稿者: 内友 | 2006年04月04日 16:12
日時: 2006年04月04日 16:12